夏目漱石「三四郎」(第十九回)三の五
その翌日から三四郎は四十時間の講義を殆(ほとん)ど半分に減(へら)してしまった。そうして図書館に這入った。広く、長く、天井が高く、左右に窓の沢山ある建物であった。書庫は入口しか見えない。こっちの正面から覗(のぞ)くと奥には、書物がいくらでも備え付けてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊抱(かかえ)て、出口へ来て左へ折れて行くものがある。職員閲覧室へ行く人である。中には必要の本を書棚から取り卸(おろ)して、胸一杯にひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎は羨(うら)やましくなった。奥まで行って二階へ上(のぼ)って、それから三階へ上って、本郷より高い所で、生きたものを近付けずに、紙の臭(におい)を嗅(か)ぎながら、――読んで見たい。けれども何を読むかに至っては、別に判然(はんぜん)した考(かんがえ)がない。読んで見なければ分らないが、何かあの奥に沢山ありそうに思う。
三四郎は一年生だから書庫へ這入る権利がない。仕方なしに、大きな箱入りの札目録(ふだもくろく)を、こごんで一枚々々調べて行くと、いくら捲(めく)っても後(あと)から新しい本の名が出て来る。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見廻すと、さすがに図書館だけあって静かなものである。しかも人が沢山いる。そうして向うの果(はずれ)にいる人の頭が黒く見える。眼口(めくち)は判然しない。高い窓の外から所々に樹が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者の生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。
次の日は空想をやめて、這入…