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 フィギュアスケート男子の高橋大輔を支え、励まし、トップスケーターに育てた長光歌子コーチが4日、東京都新宿区の住友ホールで開催された朝日カルチャーセンターの講座「フィギュアスケートの世界」に出演した。関大アイススケート部コーチで、日本フィギュアスケーティングインストラクター協会理事も務める長光コーチは、人生の転機となった1972年の札幌冬季五輪、根底にある指導哲学、高橋への思いなどを大いに語った。「成功するには優しすぎた」高橋を世界に羽ばたく選手まで導いたものとは――。

海外選手の演技にショック受け、コーチの道に

 ――フィギュアスケートのコーチとはどのようなものなのですか。

 「私は、(フィギュアスケートを習うことは)社会に出る前の小さな疑似体験だと思っています。理不尽なこと、努力してかなえられないことや、かなってうれしいこと、色んなことを体験して、社会に出たときに強い人間になってくれるとうれしいです」

 ――心構えとして選手に伝えていることは?

 「採点競技なので自分1人ではできない。色んな人に助けてもらいます。また、世界に出れば日本人の信用を担うんだということはしっかりと教えてあげたい。高橋選手には、最初に海外に出たときに、とにかく日本人として恥ずかしくないようなマナーについて口やかましく言いました。ドアは開けて女性を通しなさいとか、テーブルマナーであるとか、よく言いました。高橋選手は、よく言いつけを守っていましたね」(会場笑い)

 ――高橋選手と言えばステップというイメージがある。良いステップとは?

 「楽な動きで、ターンをする度にスピードが上がり、前後のカーブが奇麗な弧を描く。それと滑らかさ、ひざの柔らかさです」

 ――そもそも、なぜコーチの道に?

 「大学3年生の頃、(1972年)札幌五輪があり、そこで見た男子の選手の練習が楽しくて、楽しくて。個性的で多士済々。そのころ、男子は手のひらを下に向け、氷と平行にして滑りなさいと言われていた。手をぷらぷらしていると『何ぷらぷらさせているのか』と怒られる。しかし、札幌五輪で見た海外の選手は、本当に自由自在に踊っていて、ショックを受けました」

 ――印象に残っている選手は。

 「カナダのトーラー・クランストンさん、イギリスのジョン・カリーさん。その次の五輪ではロビン・カズンズさんが、本当に素晴らしかった」

 (ジョン・カリーの映像を見て)「(高橋)大輔のロングプログラム(フリー)を振り付けしたローリー・ニコルさんが大輔に『彼のスケートを見なさい。こんな風に滑りなさい』と言っていました。エッジの正確さとスケートのコントロール。同じスピードのまま図形を描きながら滑っていく。大輔もびっくりしていました。一蹴りでスピードが落ちずにスーッと滑っていきます」

 ――彼らの演技を見たことで、コーチになろうと決意した。

 「そう。こんな魅力的な選手を育てたいなと思いました」

 ――コーチになってどんな選手を育ててきましたか。

 「凝った振り付けをして試合に出したら、年配のジャッジの方に『なんで男にちゃらちゃら踊らすねん』と、言われました」

 ――今では当然、踊らなければ勝てません。

 「そうですね。こうなってしかるべきと思っていましたので、いい時代が来たなと思います」

 ――そういう時代を高橋選手も担った。

 「彼はまた特別。踊りというか滑りというか表現というか。それまでにあまり見たことがないスケーターでした」

 ――高橋選手を初めて見たときの印象は?

 「中学2年生で目の澄んだ、かわいい少年でした。夏休み、仙台の(本田武史や鈴木明子を指導した)長久保先生のところで合宿がありました。長久保先生、(元世界選手権銅メダリストの)佐野稔先生にプログラムを作ってもらうためでした。しかし当時、3回転ジャンプはサルコーとトーの2種類しかできなくて、佐野先生と長久保先生は『これで全日本どうやって戦うんだ』と心配なさっていました」

 ――踊りの面…

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