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 原発城下町の「顔」が去る。

 9月1日、福井県敦賀市の河瀬一治市長(62)が記者会見で、2015年4月の統一地方選に立候補しない考えを表明した。1995年の初当選以来、5期20年。数々の原発政策の変化に直面しながら、一貫して原発推進を訴えてきた政治家だ。

 国内最多の原発が並ぶ福井県嶺南地域で2年間過ごし、強く印象に残ったのは自治体トップの強烈な個性だった。

 敦賀市長は原発の立地自治体の代表格に位置づけられる。全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)の歴代会長には敦賀市長が就き、事務局は敦賀市役所にある。経済産業省や文部科学省、原子力規制庁など原発を所管する役所への要望を取りまとめている。原発の話題があると、敦賀市長のコメントがよく載るのはこのためだ。

 言動が注目されてきた河瀬市長の横顔を紹介したい。

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 「私は、日本でもっとも体重が重たい市長でございます」。昨年10月末、原子力施設があるスウェーデンの視察団の表敬訪問を受けたとき、冒頭のあいさつで自らの体重を話題にして笑いを誘った。

 身長173センチ、体重は自称120キロ。薄い眉毛に「わしは見てくれが怖いやろ。そやから自分をまず落として、な」。愛煙家で、たばこの燃えかすを指に取り、自分の眉毛に塗ってみせ、「これで濃くなった。優しい顔になるやろ」とおどけることもあった。

 スポーツ好きで知られる。高校生のときは柔道部員。本人によると、23歳のときに腕相撲大会で全国6位になったという。昨年夏、福井県内であった世界少年野球大会の始球式では、王貞治さんを打者に迎え、直球をストライクゾーンに投げ込んだ。バンドを組み、ギターを担当。年間20回ほどコンサートで披露しているという。

 政治家としての歩みは30年余り前にさかのぼる。

 大学時代に父早治さんの選挙を手伝い政治に関心を持った。父の死去を受け、1983年に市議選に立候補して当選。市議2期、県議1期務め、阪神大震災の3カ月後、95年4月の市長選で無所属で挑んで初当選した。

 その8カ月後、高速増殖原型炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が起き、以降、原発問題に追われることになる。最大の出来事が、東京電力福島第一原発の事故だった。

 原発の長期停止で地元企業の経営が悪化。何より原発政策そのものが大きく揺れた。民主党政権が「2030年代の原発ゼロ」を打ち出し、自公政権が原発を「重要なベースロード電源」とする新エネルギー基本計画が策定された。

 河瀬市長は独特の言い回しで発信してきた。

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 原子力規制委員会への反発は激しかった。

 規制委による原発の断層調査について、刑事裁判を引き合いに出し、「黒が出れば仕方がないが、『疑わしきは罰せずだ』。少しでも疑いがあれば罰するのは変だ」。活断層の可能性は、あくまで可能性に過ぎないとの持論をぶった。

 敦賀2号機が断層問題で廃炉の可能性が浮上すると、原子力規制庁の職員に「(規制庁は)原発をやめさせる(民主党)政権の時にできた。それが不信になっている」と非難。断層調査を引っ張った規制委の島崎邦彦委員長代理(9月18日で退任)には「(敦賀原発を)やめさせるのが自分の仕事と思っているのではないか。不信感を持っている」と名指しで批判した。

 元は自民党県議である。民主党の前政権へ向けられる発言は厳しかった。

 2012年9月、民主党政権が「2030年代の原発ゼロ」を打ち出したとき、「立地地域は逆風にある。(脱原発に刃向かえば)世論につぶされ、多くの国民を敵に回してしまう」と言いつつも、こう予測した。「方針は現政権での話。何が起きるか分からない。2030年代の原発ゼロの可能性はゼロと思う」

 その言葉は、他の自治体に向けられるときも。小浜市など福井県内の自治体から原発の再稼働判断に関与できる仕組みを求める動きがあったが、河瀬市長は一蹴した。「(権限を)広げれば原発は動かないに等しい。事業者が対応しきれない」

 この発言には含みがある。一つ…

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