夏目漱石「三四郎」(第三十回)四の二

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 ある日の午後三四郎は例の如くぶら付いて、団子坂(だんござか)の上から、左へ折れて千駄木(せんだぎ)林町(はやしちょう)の広い通へ出た。秋晴といって、この頃は東京の空も田舎のように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭は明確(はっきり)する。その上、野へ出れば申し分はない。気が暢(の)び暢(の)びして魂が大空ほどの大きさになる。それでいて身体(からだ)総体が緊(しま)って来る。だらしのない春の長閑(のどか)さとは違う。三四郎は左右の生垣を眺めながら、生れて始めての東京の秋を嗅(か)ぎつつ遣(や)って来た。

 坂下では菊人形(きくにんぎょう)が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟(のぼり)さえ見えた。今はただ声だけ聞える、どんちゃんどんちゃん遠くから囃(はや)している。その囃の音が、下の方から次第に浮き上がって来て、澄み切った秋の空気のなかへ広がり尽すと、遂(つい)には極めて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜の側(そば)まで来て自然に留る。騒がしいというよりはかえって好い心持である。

 時に突然左の横町から二人あ…

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