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原子力空母のマチ:5

 横須賀市は歴史的にも「核」とかかわりが深い。

「敗戦後、日本本土に最初に核兵器が持ち込まれたのが横須賀」

 そう指摘するのが、国際問題研究者の新原昭治さん(83)=東京都在住=だ。

 新原さんはこれまで数々の外交文書を米国立公文書館などで調べてきた。それによると、1953(昭和28)年10月、米空母オリスカニが核兵器を積んだまま横須賀港に入港したという。まだ「非核三原則」が表明される前で、朝鮮戦争が休戦になってまもなくのことだ。

 新原さんはオリスカニの航海日誌や空母の艦載機部隊司令官の回想録などを分析して突き止めた。「現在までに判明している資料をみる限り、オリスカニが日本に核兵器を持ち込んだ先駆け」とみている。

 その後も、横須賀は「核」の持ち込み疑惑に揺れ続ける。

 74年には、ラロック海軍退役少将が「核兵器搭載能力のある艦船は核兵器を搭載している」と米議会で証言し、大騒ぎになった。核付き巡航ミサイル「トマホーク」の持ち込みも問題になり、横須賀市は米艦船が入港するたびに核兵器搭載の有無を外務省に確認するなどしてきた。

 核兵器だけではない。

 横須賀にはかつて「原子力研究所」の誘致運動があった。

 市史などによると、56年、市をあげて武山地区への誘致に取り組んだ。「原子力時代は横須賀から」などの横断幕が市内に掲げられ、市民大会まで開かれる盛り上がりぶりだった。

 日本原子力産業会議編「原子力は、いま」(86年発行)によると、誘致合戦は、超党派の議員でつくる原子力合同委員会のメンバーだった中曽根康弘衆院議員の地元・群馬県高崎市などと競った。一時は横須賀が第一候補地に浮上したが、一転して茨城県東海村に決まった。

 もし横須賀に原子力研究所ができていたら、横須賀も「原発城下町」になっていたかもしれない。

 原子力艦船の入港も頻繁だ。原子力潜水艦スヌークが66年に初入港して以来、9月末までの寄港回数890回、滞港日数は7500日超を数える。ほかの寄港地である長崎県・佐世保や沖縄県を大きく上回る。

 そして、いま、核燃料製造会社や原子力空母がある。

     ◇

 「3・11」後、市民の原子力…

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