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 巨大な空中庭園を屋上に載せた高層ビル3棟が目を引く「マリーナ・ベイ・サンズ」(MBS)。シンガポールの新都心にある奇抜な建物は、カジノのほか、商業施設や会議場、ホテルを併設する「統合型リゾート」(IR=Integrated Resort・特定複合観光施設)と呼ばれる一大スポットだ。

 9月の週末、東京ドームの3分の1ほどもあるMBSのカジノは、日付が変わってもバカラやルーレットを楽しむ中国人観光客らでにぎわっていた。フロアには2500台のスロットマシンや数百のゲームテーブルが並ぶ。総床面積のうちカジノが占めるのは3%にすぎないが、年間売り上げの8割、23億米ドル(約2500億円)前後を稼ぐ。

 カジノがもたらす集金力を頼りに複合施設の運営を維持する二つのIRが同国にオープンしたのは2010年。集客効果はめざましく、09年に970万人だった同国への観光客数はIR開業後から急増し、13年は1560万人に。IRによる雇用も約2万3千人に達する。

 ただ、同国のカジノ導入には長い曲折があった。1965年の独立以降、何度も議論されたが、長年国を率いてきたリー・クアンユー元首相は、ギャンブル依存症や犯罪の増加への懸念などから「カジノは負の側面が大きい」と反対してきた。

 潮目が変わったのは03年ごろ。米同時多発テロやITバブル崩壊、重症急性呼吸器症候群(SARS)などが重なって観光客数が低迷。他のアジア諸国でもカジノ開発の機運が高まり、息子のリー・シェンロン首相は04年の議会で、「取り残されれば、我が国は埋没してしまう」と方針転換を表明した。

 同国の政府関係者によると、「カジノ」ではなく、ホテルや商業施設などを併設する「IR」が強調されたのも、国民の反発を意識したものだった。「賭博という言葉がひとり歩きするのを避けるため、使われたのがIRという造語だった」と振り返る。

 フィリピン、ロシア・ウラジオストク、そして日本。アジアでは今、観光振興や雇用創出を掲げてIR導入をめざす動きが目立つ。5月末に安倍晋三首相もMBSを視察し、こう語った。「日本の成長戦略の目玉になる」

 政府は6月、IR推進検討をうたった成長戦略を閣議決定。臨時国会では、超党派の推進議員連盟が昨年末に提出したIR推進(カジノ解禁)法案の早期成立をめざす。

 しかし、先行するシンガポールにも変化が見える。カジノ業者の課税負担をライバルのマカオより軽くするなどして、カジノ誘致と外国人観光客の取り込みを図ってきたが、他のアジア地域との競争が激化。カジノの収益は11年をピークに減り続け、IRの総収益も伸び悩んでいる。(シンガポール=都留悦史)

依存症、当初から懸念

 シンガポールは、カジノ導入による「マイナス効果」にも直面する。とりわけ賭けごとにのめり込むギャンブル依存症者の増加は当初から懸念された。

 同国のカジノは外国人なら無料だが、国民や永住権者は政府が設定した1回100シンガポールドル(8千円程度)の入場料を課される。依存症者を増やさないためのハードルで、本人や家族の申し出で入場を禁じたり、制限したりすることもできる。警察もカジノ開業前から違法な高利貸業者の取り締まりを強化。こうした対策で国民に占める依存症者の割合はカジノ開業前の2008年の2・9%から、開業後の11年には2・6%とやや低下した。

 ただ、依存症対策審議会によると、ギャンブルの電話相談は年2万1千件で09年の4倍に増加。依存傾向から立ち入り禁止・制限を受ける対象者も21万5千人超に上る。質店の数も急増し、この5年間で約2倍に。質店を営むイワン・ホーさんは「週末になると『カジノに行くから』と宝飾品や高級時計を換金する客が来る。『もうかったら買い戻す』と意気揚々と店を出ていくが、4割は戻ってこない」と話す。

 依存症者や家族らの相談に乗る50代の女性カウンセラーも「この国で公表されることはないが、ギャンブルにはまり、自殺する人を多くみてきた」と訴える。

 シンガポールに先行して統合型リゾート(IR)を誘致したマカオにも「光と影」がある。ポルトガルの植民地だったマカオはもともと賭博を合法化していたが、1999年の中国への返還で「一国二制度」に移行すると、独占企業だったカジノの経営権開放を決定。米企業が進出し、04年以降にIRが相次いで開業。13年末時点で6社が35カ所のカジノを運営する。

 イメージを一新したマカオの観光客数は03年の1189万人から13年には2932万人に。中国人が6割、香港人が2割強を占める。カジノ関連の総収入も04年の5800億円から12年には4兆円に伸びた。13年の域内総生産は10年前の6倍超、5兆4千億円になった。

 一方で、急速な発展の影響も出つつある。カジノ従業員の待遇改善運動をしているカジノディーラーの楊晩亭氏は「経済発展の速さに給料が追いつかない」と訴える。月給はこの10年で2・4倍に伸びて約22万円になったが、不動産価格はほぼ10倍に。「とても家は買えない」と嘆く。

 富裕客とカジノを仲介し、接待や金の立て替え・回収を担うジャンケットと呼ばれる業者の存在も問題視されている。マカオでは百数十の業者が営業しているが、中には不正な資金や犯罪収益を持ち込んだ客のマネーロンダリング(資金洗浄)に手を貸すケースもあると指摘される。

 アジア諸国のカジノが、成長を続ける中国の観光客頼みで発展してきたことも足かせになりつつある。シンガポールでは、中国・習近平(シーチンピン)政権が最近、汚職追放やぜいたくの締め付けに力を入れている影響もあり、中国人客をマカオなどと奪い合う状況が激化。シンガポールの今年1~6月期の観光客は前年同期比で約3%減った。

 中国人客目当ての計算が狂った例もある。タイ英字紙ネーションによると、中国系企業が2000年代からラオス北部・ボーテンの特区で開いたカジノは当初こそ中国人客らでにぎわったが、次第に売春や薬物が蔓延(まんえん)し、カジノ側が負け金を払えない客らを人質に取る事件も発生。ラオス政府は11年、カジノ閉鎖を命令。昨年には経済特区で新たなカジノ建設許可を出さない方針を示した。同国のソムサワート副首相は同紙に、カジノについて「わが国の発展に寄与しなかった」と語った。

 シンガポール国立大公共政策大学院のドナルド・ロウ副学院長は言う。「経済政策としてカジノに注目するのは悪くない。しかしIT(情報技術)や自動車などの産業と違って、カジノで20年も30年も国の優位性を保つことはできない」(マカオ=鵜飼啓)

官邸肝いり、特命チーム

 「観光振興、雇用創出といった効果が非常に大きいことを実感した」。安倍晋三首相は8日の参院予算委員会の答弁で、IRの経済効果を強調した。菅義偉官房長官も3日の会見で、カジノ解禁法案について「成立させるべく全力で取り組んでいる」と述べた。

 首相はカジノ解禁を推進する議連の最高顧問を最近まで務めていたとはいえ、「会合に参加したことはなかった」(議連幹部)。5月にシンガポールのIRを視察したのも議連幹部の働きかけがきっかけで、首相周辺は「やる気になったのは明らかに(5月の)シンガポール視察からだ」と明かす。

 政権内ではこの時期、金融緩和と財政政策に続くアベノミクスの3本目の矢となる成長戦略の改訂作業が大詰めを迎えていた。6月13日にまとめられた成長戦略の素案は、IRについて「関係省庁において検討を進める」と初めて明記。同24日の閣議決定でIR検討の推進が政府方針になった。

 7月後半。官邸肝いりの法案成立に備えるため、東京・永田町の内閣府仮設庁舎4階に、看板のないチームが設置された。

 特命事項担当の審議官をトップに、財務省や警察庁、経済産業省などから約20人が集結。9月にはチームのメンバーが、米国、アジア太平洋、欧州の3班に分かれて現地調査に飛び立った。カジノ解禁法案が成立すれば、首相ら全閣僚が加わる「推進本部」が発足し、事務局も50人規模に拡大される見通しだ。

 ただ、議員提案の解禁法案はカジノ開設の大枠を示しただけで、詳細な制度設計は1年後をめどに政府が国会への提出を義務づけられる実施法に委ねている。実施法では、IRの管理・監督の主体となる「カジノ管理委員会」の権限や国・自治体への納付金の扱い、ギャンブル依存症や資金洗浄の対策など、複数の省庁にまたがる懸案を整理し、法制化しなければならない。

 旗振り役の官邸関係者や担い手の官僚らからは「1年で実施法案ができたら奇跡だ」「あまりに骨抜きの(解禁)法案でこっちが困ってしまう」と焦る声も上がる。

与党内にも慎重論

 日本でのカジノ解禁論は1999年、石原慎太郎都知事(当時)が東京湾の埋め立て地に立地する「お台場カジノ構想」を打ち上げたのが発端だ。その後、政権交代が続いたこともあり機運は高まらなかったが、一昨年末、推進派の議連最高顧問を務めていた安倍氏が首相に返り咲いたことで、推進派の「悲願」が現実味を増しつつある。

 政党ごとに別々に活動していた推進派は民主党政権時代の2010年、超党派の74人で議連を結成。12年末に自民が政権復帰すると、党重鎮の細田博之・元幹事長が会長、党総裁特別補佐の萩生田光一衆院議員が事務局長に就任。昨年9月に20年の東京五輪開催が決まったことも追い風に、議連メンバーは昨年末、カジノ解禁法案を提案した。現在は自民、公明、民主、維新、次世代、生活、みんなの各党から計220人超が参加する。

 開会中の臨時国会で法案成立をめざし、議連は今月7日、慎重派が懸念を示す日本人のカジノ利用について、政府に入場規制などの対策を求める修正案をまとめた。カジノ解禁がギャンブル依存症者の増加を招くといった反対論を意識し、本格的な規制の議論を先送りするのが狙いだ。

 萩生田氏も記者団に「深く聞かれても、政府が(実施法で)制度を定めてからの議論だ」と語り、まずは解禁法案の成立を先行させるべきだとの姿勢を示す。

 だが、10月4、5日に実施した朝日新聞の世論調査では、カジノ解禁法案に「賛成」が30%、「反対」が59%だった。与党の公明党からも「議論が成熟していない」(太田昭宏国土交通相)と慎重論が出ており、今国会で法案が採決されるかはなお不透明だ。(村山祐介、相原亮)

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