【動画】渡辺順三への特高警察の取り調べについて語る碓田のぼるさん=佐藤達弥撮影
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 「臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は今(こん)8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」。ラジオから太平洋戦争の開戦を知らせる音声が流れたころ、外事警察と憲兵隊が各地で「スパイ」の検挙に乗り出した。

 翌日の1941年12月9日には特高警察も動き、2日間で拘束された人は683人。治安維持法や軍の情報を守るための軍機保護法などが適用され、反戦を訴える文化人や活動家らが「非常措置」を理由に次々と連行されていった。その中には、庶民の生活を詠む歌人の渡辺順三(1894~1972)もいた。

 「心配することないよ。あとを頼む」。東京・下北沢で古書店を営んでいた渡辺は家族にこう言い、検挙された。

 ある子供は

 大きな柿の樹を描いていて

 枯枝(かれえだ)の中に一つ、赤々と実を。

 渡辺の弟子の歌人の碓田(うすだ)のぼるさん(86)=千葉県我孫子市=によると、特高警察は冬の風景を詠んだ渡辺の歌に対し、取り調べで「赤い実は『弾圧されても共産党は健在だ』ということを暗示している」と決めつけたという。

 保釈されたのは拘束から1年3カ月後の43年3月。「特高は人がものをどう感じたかにまで踏み込んできた」。渡辺は碓田さんらにこう言った。戦後に書いた自伝では、留置中は水を入れたバケツを両手に持たされ、ひざの裏に棒を入れられた状態で床に座らされたと明かしている。

 感じたままを詠んだ歌が共産主義を助長し、治安を乱すとされた渡辺。懲役2年執行猶予4年の判決を言い渡され、家族と埼玉の農村に移り住んだ。「批判を許さず、人間の素直な感性さえも抑えつける。それが戦争なんでしょうね」。碓田さんは手元に残る渡辺の写真を見て、言った。

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 2日間の一斉検挙では、新聞記者も拘束された。その名前は内務省警保局がまとめた「特高月報」に記されている。

 「こんなのにおやじの名前が載…

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