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 宮内庁は5日、垂仁(すいにん)天皇の皇子、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の墓「宇土墓(うどのはか)」に指定している大阪府岬町の陵墓「淡輪(たんのわ)ニサンザイ古墳」(前方後円墳、全長172メートル)の発掘調査現場を報道関係者に公開した。午後は考古・歴史学の学会代表らに公開する。同古墳の本体が発掘調査されるのは初めて。

 宮内庁は墳丘の整備工事を前に、古墳の裾部分を20カ所発掘。墳丘は農業用水に使われた堀の水の量を増やすために後世に削られており、築造時の全長は200メートル前後だったことが分かった。現在、前方部と後円部の間から突出する「造り出し」は南側だけに残っているが、当初は北側にもあったことも確認された。

 南側の造り出しには墳丘表面を覆った「葺(ふ)き石」がよく残っており、古墳本体との間から円筒形と朝顔形の埴輪(はにわ)が列になって出土。上面や周囲から家や盾、貴人にさしかける蓋(きぬがさ)などの形をした埴輪片が多数見つかった。埴輪の形から古墳が5世紀中ごろ~後半に築造されたことが確実になった。

 日本書紀によると、五十瓊敷入彦命は景行(けいこう)天皇の同母兄で、鉄刀など武器の生産を指揮したとされる。しかし研究者の間では、古墳は過去に出土した埴輪などから、465年に雄略天皇の命で朝鮮半島の新羅と戦い、現地で病死して「田身輪邑(たむわのむら)」に葬られた、と日本書紀に記された豪族・紀小弓(きのおゆみ)の墓とする説がある。(編集委員・今井邦彦

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