広範な教養に基づく詩的な文体で知られ、桐朋学園大学長などの要職を歴任した音楽評論家で文化功労者の遠山一行(とおやま・かずゆき)さんが10日午後9時12分、脳梗塞(こうそく)のため、東京都内の自宅で死去した。92歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主はピアニストの妻慶子さん。父は日興証券創業者の遠山元一さん。後日お別れの会を開く予定。連絡先はカメラータ・トウキョウ(03・5790・5566)。

 1922年東京生まれ。東大で美学を専攻。24歳の時、音楽評論家の野村光一さんの推薦で毎日新聞の音楽評論を手がけるように。文学で「評論」のジャンルを確立した小林秀雄らの精神を継ぎ、吉田秀和さんとともにクラシック音楽評論の第一人者となった。

 51年にパリ留学。フランス文化への深い造詣(ぞうけい)を生かし、「ショパン」(毎日芸術賞)や「マチスについての手紙」などを執筆。「実演家より聴衆の視座に立った評論」を訴え、自ら実践した。一方、芸術の大衆化には慎重な姿勢をとり、万人を酔わせるカリスマと化した指揮者のカラヤンを批判した。

 67年には芸術総合誌「季刊芸術」を文芸評論の江藤淳さん、美術評論の高階秀爾さんとともに創刊、ジャンルの枠を超えた言論活動を目指した。山田耕筰や武満徹さんの自筆譜など、明治以降の日本の音楽資料を収集保存する日本近代音楽館設立の音頭をとり、2010年の閉館(資料は明治学院大図書館付属日本近代音楽館に寄贈)まで私費を投じて守り続けた。83年には民間初の東京文化会館長となり、注目された。パリのロン・ティボーをはじめ、内外の国際コンクールの審査員も務めた。

 東京芸術劇場館長、「文化立国・文化省設立を推進する会」運営委員、「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」音楽監督などの要職を歴任。85年紫綬褒章、93年勲三等旭日中綬章、98年文化功労者。「河上徹太郎私論」「私の音楽手帖(てちょう)」「考える耳考える目」などの著書もある。