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フィリップ・トルシエ(元日本代表監督)

 私が日本代表の指揮を執ってAFCアジアカップを制した2000年は、運が大きな役割を果たした。特にサウジアラビアを下した決勝では、幸運に恵まれた。

 日本がAFCアジアカップ史上最も成功を収めている国となった今となっては忘れられがちだが、当時はまだ、こうした大舞台はあらゆる面で日本サッカー界にとって未知の領域だった。

 日本は、92年のアジアカップで1度優勝しただけだった。だが、それにもかわらず、日本国内や日本サッカー協会(JFA)では、成功への期待が高まっていた。

 どのような大会であれ、開幕時に話を聞けば、監督は必ず、まずは決勝トーナメントに進むことが目標だと言うだろう。誰しも楽観的で、自分たちの進むべき道と前途の計画を思い描いており、日本、中国、フランス、スペイン、どの国の監督であろうと勝利できると考えているものだ。

 サウジアラビアや韓国、イランといった他の強豪国と同様、我々も優勝を望んでいた。日本と同じように、他の2カ国、3カ国、あるいは4カ国もこの夢を抱いていたものの、優勝できるのは1カ国だけだ。

 勝利を目指す試みが「1+1」の足し算のような単純な問題でないことはわかっていた。夢の実現は数学的なプロセスとは異なる。論理的に戦ってみることも可能だが、サッカーはそういうものではない。狙い通りにならないこともあり、残酷で、そして、時には優勝したチームが最高のチームでないこともあり得る。

 サウジアラビアとは大会序盤でも対戦していた。グループリーグの初戦で、素晴らしいパフォーマンスを発揮して勝利した。もっとも、あそこまで大差がつく結果は予想していなかったが。

 どの大会であれ、序盤のグループリーグというのは、後にプレーする決勝トーナメントの試合とは様相が異なる。というのも、目標はあくまでグループ内の上位2カ国に入ることであり、初戦の勝敗だけでは何も決まらないからだ。

 私は選手たちのプレーに歓喜したが、それは目標が4―1で勝利することではなく、勝ち点3を取ることだけだったためであり、両チームの実力に4ゴールほどの開きはなかった。

 ただ、我々には好材料があった。数週間前にシドニー五輪を戦っており、そこで自信に満ちた良いプレーをしていた。日本には最高の攻撃陣、最高の選手たち、最高の守備陣が備わっており、素晴らしいチームに仕上がっていた。

 サウジアラビア戦の勝利は大きかった。この試合の結果により、我々が観光客としてアジアカップにやって来ているのではないことを示すことができた。休暇目的や頭数をそろえるために参加していたわけではない。チャンピオンになるために参戦していたのだ。

 アジアカップは厳しい大会であり優勝するのは難しい。各国の競争は激しく、特別な試合も数多くある。中国と対戦した準決勝もまた、日中間の歴史があるだけに、そのような特別な試合の一つになった。ちょうど韓国と対戦する時と似たような雰囲気だ。

 我々は準決勝に至る過程で、ウズベキスタン相手に素晴らしい試合をして8―1と大勝し、次戦のカタール戦に引き分け、グループ首位通過を決めていた。準々決勝では、1点を先制された状況から強い精神力を発揮して流れを取り戻し、イラクを下した。

 準決勝の中国戦の時のチーム状態は最高とは言いがたかったが、あのような状況で最も大切なのは冷静さを保つことだ。時には試合への入り方を変えなければならないこともあり、何より重要なのは勝利することだ。難しい状況を克服することでチーム力が向上し、自信を得られる。日本代表はリードを許す展開から立ち直り、勝利に必要な真の個性や特徴を示した。

 何より重要だったのは、これで決勝に進み、サウジアラビアと再び対戦することができた点だ。後からこの試合を振り返ってみれば幸運だったと言えるかもしれないが、それはどの決勝についても同じことだ。

 サウジアラビアとの初戦に勝っていたからといって、決勝戦も自分たちの思い通りに運ぶだろうなどとは考えなかった。初戦で対戦した後、サウジアラビアに監督交代があり、ミラン・マチャラ氏に代わってナセル・アル・ジョハル氏が指揮を執っていたが、彼らが偉大なチームであることに変わりはないと思っていた。厳しい試合になると予想していた。

 大会も大詰めになって、日本代表には疲労が蓄積しており、選手を管理するのが私の仕事だった。初戦と同じ戦い方をさせるわけにはいかなかった。

 ここまで来ると、重圧も大きくなる。これが最後の試合であり、トロフィーはすぐ目の前にある。一丸となって長い距離を踏破してきたが、まだ100メートル残っており、プロフェッショナルでありつづける必要がある。

 最終的に、我々はなんとか勝利を手にすることができた。サウジアラビアがPKを外す一方、望月重良がこの試合唯一となるゴールを決め、トロフィーを獲得した。決勝戦で多少の幸運に恵まれたのは確かだが、日本が大会を通じて最高のチームだった。あらゆるデータがそれを証明しており、私もAFC年間最優秀監督に選ばれた。素晴らしい大会であり、私のキャリアの中でも最も幸福な思い出の一つとなっている。

 〈フィリップ・トルシエ〉フランス出身のサッカー監督。00年にレバノンで開催されたAFCアジアカップで日本を同大会2度目の優勝に導き(日本は同大会で過去4度優勝)、その2年後、W杯本戦で日本をベスト16へと導いた。その後、カタール、フランス、モロッコ、中国で監督を務めた。日本代表監督就任前には南アフリカ代表監督も務め、98年W杯でも本戦出場を果たしている。

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 アジアサッカー連盟(AFC)提供記事を翻訳

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