【動画】杉野希妃さんから受験生へ=佐藤正人撮影
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映画監督・女優 杉野希妃さん

 母が厳しくて、母に怒られないために勉強していたような思春期でした。その中で演劇が現実逃避する唯一の手段でした。中高は演劇部。宝塚歌劇団に憧れていました。娘役の自分が宝塚のあの大階段を下りてくる。そんな光景を通学の帰り道に歌いながら想像しているような「ヅカファン」の少女でした。

 中学卒業時に宝塚を受験したかったのですが、母が絶対に絶対に絶対に許してくれなかった。広島市内では進学校で有名な中高一貫の女子校に通っていました。当時は「宝塚を受けるなら学校を辞めなければならない」と、先生から聞き諦めました。

 母の言うことは絶対で、反抗するという考えはなかったです。もちろん母を恨みました。憎いとさえ思った。どうして宝塚を受けることすらダメなのかと。そのときの「大学に行けば好きにしていい」というのが母との約束になりました。高2の夏に演劇部を引退。そこからは受験勉強一色です。

 理系で数学が得意でした。逆に国語が苦手。三浦綾子とか谷崎潤一郎とかカミュとか、本は大好きだったんですが、国語って答えがひとつとは思えないのです。例えばAという答えがある。でも、違う見方をすれば、答えはBじゃないか? いや、Cともとれるのではないか? そんな風に考えると、何で答えが導けるの?って。あまのじゃくだったんですね。

 その点、数学は答えが明瞭です。論理立てて推理して最短ルートで解答にたどり着く。その過程は美しいですよね。今日はここまでできた、明日はもう一段階難しい問題を解いてやろう。そういう風に勉強を楽しもうと努めました。

 卒業後に東京に行くことは絶対でした。東京はエンターテインメントの中心だと思ったし、一人暮らしができる。じゃ、どこの大学に行こうかと考えたとき、理系学部は興味なし。興味があったのは文学部だったんですが、受験科目に数学がないと勝ち目がないと思いました。

 それで、数学受験できる文系の学部を調べたら経済学部でした。いくつか受験校を決め、受験科目を数学・英語・小論文に絞って過去問を研究し、科目別に一番目的に合っている塾を三つくらい選んで通いました。

 このポイント(科目)を押さえてリサーチする方法は映画を作るようになっても役に立っています。膨大な数の映画のすべて見ることはできません。例えばAという監督の作品を見て、A監督に影響を受けたB監督の作品があって……、といったように系統立ててリサーチをします。これは受験勉強で身につけました。目的がはっきりしていた分、要領良く勉強できたと思います。結果的に第一志望だった慶応大学経済学部に進みました。

映画を見まくった2年

 大学に入って、やっと母の支配から自由になりました。で、自由なキャンパスライフを謳歌(おうか)したか? それがそうでもなかったです。

 演劇サークルをいくつか見ました。確かに上手なんですけど、何か違うと思いました。もんもんと過ごす中で、夢中になったのが父が送ってくれた映画を見ることでした。

 父は映画に詳しくて、録画したDVDを山のように送ってくれました。作品の一つひとつに付箋(ふせん)でメモが書いてあるのです。例えば吉田喜重監督の「嵐が丘」は「日本版にリメイクされて原作とは全然違う時代劇になっている」とか、「アメリカの夜」はトリュフォー監督の中で最もおすすめだとか。

 宝塚への関心は映画へと変わりました。2時間あまり何十年も前の海外作品で今も感動できるってすばらしいなとか、どうやったら映画の中で演技ができるだろうかとか。浴びるように映画を見て、考えて、インプットするだけのぜいたくな時間でした。アウトプットはゼロ。そのときは具体的な行動をする方法も自信もなかったですし。

韓国で女優デビュー

 大学3年になり周囲の就職活動を眺めていたら、このまま自分の大学生活が終わっちゃうと後悔するなと思い、韓国映画が好きだったので韓国に語学留学しました。チャンスがあれば映画に出てやるぞという気持ちを持って。なんだか無鉄砲な留学でしたが、失敗したらそのとき考えようくらいの気持ちでした。

 最近、母親役を演じる機会が増えました。結婚も妊娠もしたことがないですが、自分が実際に母親になったときに子どもとどう接するかをよく考えます。たぶん、母と同じように接すると思います。

 10代半ばで人生を決めてしまうのは早すぎると母は言っていました。その言葉の意味が今になってわかります。私は映画に出会えた。もちろん大学に行くことが必ずしもいいとは言いません。今でも受験社会や学歴主義をくだらないと思うこともあります。

 でも、大学に行ったら行ったで見えてくる景色もありますから。あと、どうせやるなら、楽しんだ方が気が楽ですよ。

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 すぎの・きき 広島市出身。ノートルダム清心中学・高校卒。韓国留学中の2006年、韓国映画「まぶしい一日」でデビュー。14年、自身が出演・監督した「欲動」で釜山国際映画祭の新人監督賞を受賞。15年は原爆投下70年を機に故郷広島をテーマにした作品を構想中。30歳。(聞き手・佐々木洋輔)

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