「世界の壁」で、進学の道定まる なでしこ・安藤梢さん

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 高校に入ったばかりのころは、薬剤師になりたいって思ってたんです。サッカーで日本代表になりたい、五輪にも出たい、という夢はありましたが、当時、プロとしてやっている人はいなかったので、現実的に想像できなかった。「サッカーしながら薬剤師ってかっこいい」と思ってました。

 3歳ごろからボールを蹴っていたようです。幼稚園に行きたくなくて、柱につかまって泣いて登園拒否していたのが、サッカークラブがあるなら行きたい、と。女子はいなかったんですが、両親が頼んで、「幼稚園に来るんだったらいい」ってことで入りました。

 小・中学生と男子に交じってプレー。今だと考えられないですが、中1の時は、着替えは木の下。スカートで隠してズボンと交換する必殺の脱ぎ方がありました。部室も男子と一緒でしたが、幼い頃から一緒にやってる仲間で、仲は良かったんですよね。

 高校は栃木県内で一番の公立の女子高校を目指しました。当時、女子サッカーは低迷していて、続けるためにも大学には行きたかった。そのためには、勉強もがんばれる高校を、と。県内では少ない女子サッカー部があったこともあります。

目の前を走る米選手に衝撃

 漠然と大学には行きたい、薬剤師もかっこいいな、と思っていた高1の時。99年のことです。日本代表に選ばれ、米に遠征しました。小6で全国優勝、県内では1人でドリブル突破して点を取れて、16歳で代表。そのときは、自分がうまいと思っちゃってた。そこで、米代表を見て衝撃を受けました。

 目の前の選手が走るスピード。軽々届くサイドチェンジ。ズドンッていうミドルシュート。髪形はポニーテールとかなのに、「え?男?」と思っちゃうくらい。日本は7―0とかで負けて、お客さんは何万人と入っている。「こんな世界があるんだ。自分もこういう舞台でプレーしたい」と強く思いました。

 同じ年の99年W杯では、ノルウェー戦で10分くらい出場したんですが、自分の技術を出す前にバーンッて当たられて、その衝撃が強烈すぎてしばらく過呼吸みたいになった。「戦うにも値しない」と思ったんです。

 うまくなるために、色んな角度から鍛えないといけないと思った時、中山ゴンさんや井原正巳さんが、大学に入ってスピードが上がった、フィジカルが強くなった、ということを紹介しているデータを見ました。2人とも筑波大で学んでいて、「世界で戦える体」について、研究面からアプローチできる大学なんだと思いました。

友達が心配するほど色白に

 目標が定まり、受験勉強の動機ができました。海外遠征には教科書や参考書を持参。数学や理科は、教科書が進んでしまうと自分ではわからないので大変。帰国後、先生が1対1で特別授業をしてくれました。サッカー部の顧問は数学の先生で、国内の遠征先でも教えてくれた。

 受験のプレッシャーは大きかったです。高3の夏でいったんサッカーを離れました。そんなの、人生で初めて。私がサッカーを休むって、そうとう焦ってたんだと思います。何でも「サッカーが一番」だったのが、初めて「大学行くためにはしょうがない」って。肌が白いのを見たことがない友人が、病気じゃないかと心配してました(笑い)。

 予備校や塾は行かずに、学校の図書館。友達や先生に教えてもらえたし、行きづまったらグラウンドで走れるしで、便利でした。

 結局、AO入試に似た筑波大独自のAC入試を受けて受かりました。20倍以上の倍率だったので、駄目もとだったんですが。

記録、いまでも伸びてる

 大学で学んでいることは、スポーツ科学です。測定評価学の研究室では、自分の成長をつくる「トレーニング生活のPDCA(計画・実行・評価・改善)」を学びます。たとえば、「朝何時に起きて何をして」というデータを継続的にチェックするなどして、自分の生活リズムの改善やコンディションの整え方を見直します。ほかにも、栄養学から体作りなどが学べ、単純なフィジカルトレーニングだけじゃない研究ができました。

 国際大会に出場する度、「ここは世界に近づいたけど、ここは課題がある」ということを見つけ、大学でまた、その改善を目指す、という繰り返しで、世界の舞台へ上っていけたと思います。2011年のW杯で優勝した瞬間は、続けてきた結果が出たと実感しました。いま32歳ですが、今でも10メートルや20メートル走などの記録がまだ伸びています。

 いまは博士課程に在籍中で、サッカーの戦術能力を測るコンピューターテストを作っているところです。プレーしているドイツから帰国した冬や夏の時間を利用して論文を書いてます。

目標を定めてから、受験を

 私の場合、世界の壁に出会ったことで、「世界と戦えるようになりたい」という目標ができ、筑波大の研究データを目にしたことで、目指す受験先が定まりました。目的意識があったので、サッカー選手生活との両立がつらいときも、乗り越えられました。

 「何をしたいのか」という目標を見つけることが大事なんじゃないかと思います。目標なしに大学へ行っても、4年間はあっという間ですし、なかなか意味のある時間になりにくいと思います。私の目標に向かう道の途中には、大学受験がありましたが、もしその道の途中に大学受験がないのに、「ただみんなが受験しているから」という理由だけで受験しようとしている人がいるなら、大学には行かなくてもいいと思います。

 最後に。私はサッカーをやっていて、うまくいかないことばかりでした。代表に選ばれずつらい時期もあったけど、そういう時の方が、何が足りないのか必死で考え、自分の力になったと思っています。心が折れそうな時こそ、そういう時こそが学ぶチャンスだと、気持ちをうまく前に向け、目標に向かってがんばってください。(聞き手・小林恵士

     ◇

 あんどう・こずえ 宇都宮市出身。サッカー日本女子代表。ポジションはMF。2011年のFIFA女子W杯では、全6試合に出場して優勝に貢献。五輪は、アテネ・北京・ロンドンと3大会連続出場。現在、ドイツの1.FFCフランクフルトに所属。筑波大学大学院博士後期課程に在学中。著書に「世界でたたかうためのKOZUEメソッド」(講談社)

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