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映画監督・作家 森達也さん

 渦中の報道を見聞きしながら、気になったことがあります。安倍晋三首相は事件について語るとき、まずは「卑劣な行為だ、絶対に許せない」などと言う。国会で質問に立つ野党議員も、いかにテロが卑劣か、許せないかを、枕詞(まくらことば)のように述べる。そんなことは大前提です。でも省略できない。

 この光景には既視感があります。オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたときも、オウムについて語る際には、まずは「卑劣な殺人集団だ、許せない」などと宣言しなければ話ができない、そんな空気がありました。

 大きな事件の後には、正義と邪悪の二分化が進む。だからこそ、自分は多くの人と同じ正義の側だとの前提を担保したい。そうした気持ちが強くなります。

 今の日本の右傾化や保守化を指摘する人は多いけれど、僕から見れば少し違う。正しくは「集団化」です。集団つまり「群れ」。群れはイワシやカモを見ればわかるように、全員が同じ方向に動く。違う動きをする個体は排斥したくなる。そして共通の敵を求め始める。つまり疑似的な右傾化であり保守化です。

 転換点は1995年。1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件があった。ウィンドウズ95が発売された。巨大な天災と未経験の人災に触発された不安や恐怖感が、ネットを媒介にして拡大していく。その始まりの年でした。

 不安と恐怖を持ったとき、人は一人でいることが怖くなる。多くの人と連帯して、多数派に身を置きたいとの気持ちが強くなる。こうして集団化が加速します。

 群れの中にいると、方向や速度がわからなくなる。周囲がすべて同じ方向に同じ速度で動くから。だから暴走が始まっても気づかない。そして大きな過ちを犯す。

 ここにメディアの大きな使命があります。政治や社会が一つの方向に走りだしたとき、その動きを相対化するための視点を提示することです。でも特に今回、それがほとんど見えてこない。

 多くの人は「テロに屈しない」…

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