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 寸分も狂わぬことが、踊りの一つの極意だという。「百回踊ったら、百回同じ形にならなければいけません。一回一回バラツキのある人は、まだ下手だということになります」。言葉の主、踊りの名手で知られた歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんが亡くなった。59歳の早すぎる幕である▼端正。それでいて大きい芸だった。40代ごろの舞台写真を見ると、着物を端折(はしょ)ったふくらはぎに、彫刻のような陰影が走っている。体に楽をさせるなと先代の父親から教わった。鍛錬の成果が、隙のない所作をつくりあげた▼根っからの役者なのだろう。初舞台はうれしくて仕方なかったという。小学校の黒板に、早くも自分の名前を「十代目三津五郎」と書いた。そのことを先生から聞かされた両親を、驚かせたそうだ▼十代目を継いだのは2001年。周囲は「21世紀の冒頭の年」の襲名を祝ったが、ご本人は新しい千年の最初の年と語っていた。伝統芸能の将来を真摯(しんし)に、遠く見据える人だった。自分が預かった芸を未来に手渡す。それを大切にしていた▼「一万尺」の号で俳句を楽しんでいた三津五郎さんが、句会で詠んだという一句がある。〈水仙や小さき白と生きること〉。句友のスポーツライター増田明美さんがかつて本紙で紹介していた。「楷書」にたとえられる芸風に、どこか重なり合う▼「歌舞伎の守り神は、昼寝でもしていたか」。中村勘三郎さんに続いて市川団十郎さんを失ったとき小欄につづった嘆きを、きょうも繰り返す。