拡大する写真・図版 避難指示解除準備区域にある請戸小の教室の黒板。震災後に訪れた卒業生、ボランティア、自衛隊員らのメッセージが残されている=福島県浪江町、福留庸友撮影

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 「3月11日(金)」と書かれた日付の下に日直の児童の名前、年度末だったから「1年間のまとめをしよう」という学級の目標……。

 教室の黒板に板書していた子どもたちの姿が、まぶたに浮かぶ。息づかいまで聞こえてきそうだ。しかし、ここには、誰もいない。海からの風の音以外、何も聞こえない。

 福島県浪江町立請戸小学校。東日本大震災から4年を前に、再び、来てみた。

 午後3時35分すぎ。津波が襲った時刻で止まったままの時計。静寂と荒涼……。

 ここは、あの日、あの時のまま、の場所なのだ。理科室の実験道具も、音楽室のグランドピアノも、壁に張られたモーツァルトやベートーベンやショパンの肖像画も、あの日のまま。

 「津波が来る。大平山に向かって逃げるぞ。頑張って歩くんだぞ」。あのとき、校内に残っていた児童81人は、機敏な判断をした教職員13人に引率され、近くの高台に逃れ、全員無事だった。1人の犠牲者も出さずに。

 2階の教室の破れた窓からは、爆発事故を起こした東京電力福島第一原発の排気筒が見える。廃炉作業のクレーンも見える。空間放射線量は、記者が暮らす南相馬市内と変わらないが、子どもたちが再び、この学舎(まなびや)に戻って勉強することはもはや、ないだろう。

 「請戸小だいすき」「絶対に帰るよ」「全て流されても、私たちの請戸は生きている」「負けんな請戸」「頑張れ!請戸魂!」。こんなメッセージを書き残した在校生や卒業生は、今は避難先の福島市やいわき市など県内各地、全国各地に散り散りになっている。

 でも、彼ら彼女らの魂は、やっぱりここに帰って来るのだろう。後ろで風の音がした。(本田雅和)