大阪府吹田市で25日に営まれた人間国宝の落語家桂米朝さんの葬儀には、各界の著名人やファンら約1500人が参列し、最後の別れを告げた。長年親交のあった人々が温かい言葉で、米朝さんの人柄や業績をしのんだ。

 「八十八(やそはち)」の俳号を持つ米朝さんが参加した「東京やなぎ句会」の仲間だった、脚本家の大西信行さんは弔辞で「米朝さんとのご縁は、まだ米朝さんでもはなし家さんでもなかった大東文化学院(現大東文化大学)の学生、中川清の頃から。落語の研究書を出版していた正岡容(いるる)という人の表札を見つけて、その家に潜り込んだ。それが米朝さんと私との長い長いご縁の始まり。あなたは文献をあさり、上方落語のほとんどのネタをよみがえらせた。落語だけでなく、ラジオやテレビの人気者となり、戦争でどこへ行ったかわからなくなっていた上方の芸人さんたちを生き返らせた。日本の落語の新しい形、姿を作った。そうした数々の業績があればこそ、上方落語では最初の人間国宝、はなし家では初めての文化勲章になれた。でも米朝さん。見てください。このお弟子さんたち。絶滅寸前と正岡が言った上方落語にこんなに大勢のはなし家が、あなたの後を追って見事なにぎわいを見せてくれている。あっちに行った正岡のおやじにうんとほめてもらってください。去年亡くなった奥さんと、まずはゆっくりお過ごしください」と語りかけた。

 米朝さんが40歳の時に京都で始めた「桂米朝落語研究会」に通っていた俳優の近藤正臣さんは弔辞で、「約半世紀、追っかけみたいなことをずーっとさせていただきました。いろんな噺(はなし)を掘り起こし、残してくださいました。お弟子さんも色とりどり、ぎょうさん残してくださった。楽しみは続くのであります。おおきに。生のお話しは聞くことはできひんのやけど、残してくださった噺をお弟子さんが続けてくださる。亡くなった気がしないのであります。いろいろおおきに。ありがとうございました」と感謝を述べた。

 米朝さんは、同じ人間国宝の5…

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