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 「松下電器産業」を通じて戦後の日本経済の歩みをたどる「ナショナルと戦後の風景」。こうした戦後社会の根っこはどう形づくられたのだろうか。高度成長は戦時中の国家総動員体制の産物だと考察した「1940年体制」の著者、野口悠紀雄さん(74)に話を聞いた。

 ――「1940年体制」とは何を指すのですか。

 「日本経済は1940年ごろ大転換しました。それまでの市場主義経済が、統制的な経済になったのです。国の指導のもと資源配分される仕組みになり、その仕組みが終戦にもかかわらず継続して、高度成長を支えました。これがわたしの『40年体制』の主張です」

 「多くの日本人は45年に日本の歴史の断絶があると思っている。日本は平和国家に転換し、GHQの下に民主化を進めたために、高度成長したと考えています。しかし、そうではありません」

 「40年体制は社会主義です。これは当時の世界的な潮流です。ソ連や国家社会主義のナチスドイツ。アメリカもニューディール的な色彩が強くなっていった」

 ――朝日新聞の戦後70年経済連載「ナショナルと戦後の風景」では「松下電器産業」をのぞき窓に日本の戦後経済を振り返りました。松下をどうみますか。

 「松下は40年体制の典型です。日本人の多くは、松下は戦後に成長した平和産業の象徴だと思っています。しかし、戦時期の需要で急成長した。飛行機や船、色々な部品をつくっていました。だから、GHQから戦争協力企業に指定されて、松下幸之助は公職追放されています。(52年までに解除)。戦後、構造はそのままに、つくるものを洗濯機やテレビに替えて、成功しました」

 ――日本型経営の特徴に年功序列と終身雇用があります。これも40年体制が起源ですか。

 「40年以前の日本では、いまのアメリカのように、企業間の労働者の移動が頻繁でした。定着を促し、勤労意欲を高めるために、賃金が勤続年数に合わせて上がっていく年功制や、長く同じ企業にいる人に有利な退職金の仕組みができました」

 「社会保険制度も勤労者を中心に40年体制の中で充実されました。41年に労働者年金保険法が制定され、これが44年に厚生年金になりました。労働意欲を高め、軍需生産の生産性を上げるのが目的です」

 ――戦後、日本の大企業は福利厚生を充実させます。松下はそのカガミでした。

 「原点は40年体制にあります。目的が総力戦から経済戦争の遂行に替わっただけです。仕組みは全く同じというのが重要な点です」

 ――日本経済に終戦はなかったということですか。

 「そうです。だから、45年ではなく、40年が断絶なんです」

 ――なぜ45年に変わらなかったのでしょうか。

 「占領軍が日本のことを知らなかったからです。そして、官僚が生き抜いた。日本の官庁で変わったのは内務省だけです。マッカーサーが来る10日余り前、軍需省は商工省に看板を書き換えて残った。あの日本経済が大混乱に陥っているとき、通産省(現経済産業省)や大蔵省(現財務省)などの経済官庁はほとんど影響を受けていない」

 ――日本型経営のもう一つの特徴である企業別組合の起源はどうですか。

 「40年ごろ国の指導で産業報国会が作られました。業界ごとに統制経済的なことができる。経営者は企業の内部昇進者であり、労働組合が企業ごとに形成されるという戦後の仕組みにつながります。重要産業団体令のもと、生産増強のため業種別に『統制会』がつくられました。その上部機構『重要産業協議会』は戦後、経済団体連合会になりました」

 「産業報国会によって、企業一家をつくろうというのは、市場を否定し、自由主義経済の基本原理を否定しているわけです。岸信介商工次官(当時、後に首相)は、企業は利益を追求してはいけないと明言した。国のために行動しろというわけです。社会主義の思想です」

 「例えば、戦後の石油危機への対応は、日本株式会社だからこそ成功しました。賃上げを要求せず、スタグフレーションが避けられた。40年体制の大勝利でした」

 ――では、40年体制の何が問題なのですか。

 「1990年代に世界経済は大…

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