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笹村さん一家:2

 笹村球吾さんは1945年8月9日朝、2人の娘が工場に出勤するのを見送ったが、2人が帰宅することはなかった。

 長女の和子さんは、女子挺身(ていしん)隊として長崎市茂里町の三菱長崎製鋼所(現在の長崎新聞社や長崎ブリックホールなどの一帯)に動員されていた。

 長男の宜弘さんが書いた記録などによると、和子さんは製鋼所から逃れ、近くの路上まで出た。亡くなったのは11日で、伊良林国民学校(現・市立伊良林小学校)で火葬されたことから、路上から救護所となった同校に運ばれたとみられる。「爆心の丘にて」の手記によると、球吾さんは和子さんの行方が分からず心配していたが、8月14日に同校を訪れ、遺骨を受け取ったという。

 長崎原爆戦災誌によると、製鋼所の犠牲者は約1400人。そのうち、女子挺身隊は26人だった。製鋼所跡に臨む丘にある聖徳寺の墓地の一角に、製鋼所犠牲者の慰霊碑がたてられている。

 長女和子さんが火葬されたという伊良林国民学校の話を以前、取材したことがあった。

 被爆後、長崎市内では各地で遺体を焼く火の煙が立ち上った。救護所として多くの人が運ばれ、息絶えた同校では運動場が火葬場となった。被爆当時19歳で、同校の教師だった福島梅子(ふくしまうめこ)さん(88)は、その様子を「校庭は墓場になった」という体験記にまとめた。

 被爆前、運動場には大きな穴が生徒用の防空壕(ごう)として掘られていた。その穴に木を組み、上に遺体を寝かせて焼いた。火葬場は運動場全面に広がり、同校で亡くなった人だけではなく、校外からも遺体が運ばれた。

 福島さんは、体験を継承する必要性を感じている。「一番若かった私がしゃべっておかないと。もう1回学校に行って、当時の状況を話したい」と語る。

 球吾さんの次女の公子さんは被爆当時、カトリック系の長崎純心高等女学校の4年生。学徒動員で、長崎市大橋町の三菱造船大橋部品工場で働いていた。純心女子学園が女学生らの犠牲についてまとめた「純女学徒隊殉難の記録」に球吾さんが寄せた手記によると、公子さんは「純女学徒隊」の腕章と白い鉢巻きを着け、楽しんで通っていたという。

 工場は原爆で壊滅的な被害を受けた。球吾さんの手記によると、公子さんは建物の下敷きになったが、抜け出すことができた。被爆地をさまよった末、大橋町にあったガスタンクそばにいたところ、救援列車に乗せられたという。運ばれた先は、諫早市の長田国民学校(現・市立長田小学校)だった。

 球吾さんは長崎市内で必死に公子さんを捜し、「看護してやりたい」と思っていたが、15日、公子さんが同校にいることを知り、急いで長田へと向かった。

 私は公子さんが運ばれた諫早市の長田に向かおうと、JR西浦上駅から普通列車に乗り込んだ。同駅は被爆当時にはなかったが、救援列車は同駅のやや南の照円寺下などからけが人を乗せたとされる。長崎の街を離れ、郊外へ。緑が多くなり、大村湾の海沿いを進む。そして、諫早の街を過ぎ、肥前長田駅へと着いた。こんなに遠くまで被爆者が運ばれてきたことに驚く。

 駅の近くに長田国民学校があった場所がある。戦後、小学校となったが今は移転し、広場になっていた。長崎原爆戦災誌によると、救護所となった同校には被爆2日後の8月11日から約200人のけが人が運ばれた。

 近くでゲートボールをしているお年寄りたちに話を聞くと、当時のことを覚えている人たちがいた。「水を、水を」と被爆者たちは訴えていた。遺体もいくつも置かれていた。同校3年生だった女性は皮膚が真っ黒に焼け、はげた所が真っ赤になった遺体を記憶している。「かわいそうだった」と語った。

 次女の公子さんは、8月11日には長田国民学校に運ばれていたようだ。長崎純心高等女学校の生徒は公子さんら10人ほどがいた。球吾さんが娘の元に駆けつけたのは15日だ。長崎原爆戦災誌によると、長田国民学校の救護所は17日に閉鎖され、残った30人ほどのけが人は諫早海軍病院に移された。戸板やリヤカー、荷車での移送だったという。

 球吾さんの手記によると、病院では十数人の患者が一部屋に収容され、毎日、7、8人ずつが亡くなるという状況だったという。球吾さんは「わが子を看護する肉親としては本当につらいことでした」とその時の心境をつづっている。

 球吾さんの次男で明美さんの父の久(ひさし)さん(1920~2007)も公子さんに会った。手記で「顔ははれあがり、眼の上は、ハンマーみたいなものが強く当たったのか、その傷あとは強くふくれあがり、眼はくぼみ、身代りになってあげたい気持一杯」になったと記している。

 「純女学徒隊殉難の記録」によると、球吾さんの次女の公子さんは8月22日に容体が急変した。公子さんは「お父様、お世話になりました。お母様へよろしく」と球吾さんらに告げた。球吾さんは妻優子さんや公子さんの姉の和子さん、妹の瑛子さんの死を伏せていたが、最期に知らせると、「そうですか」と一言答え、23日に亡くなったという。

 ここに、諫早海軍病院が出した…

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