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笹村さん一家:6

 笹村球吾さんは薬剤師として晩年まで勤め、1985年に92歳で亡くなった。戦後の自宅は被爆時に暮らしていた薬局近く、長崎市平野町にあった。爆心地に近い場所で、自宅前には一本柱鳥居や国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を案内する看板がある。

 私の自宅もそこから近い。普段、通る道沿いにあり、その家の存在は知っていた。原爆で妻子4人を失った球吾さんの手記を読み、球吾さんについて詳しく知りたいと思っている時、偶然、この家が球吾さんのものだったと知り、身近に感じた。それがきっかけで、球吾さんの孫の明美さんを訪ね、本格的に一家を追う取材が始まった。

 その家があった土地は現在、更地になっている。2014年11月に解体作業が始まったのだ。解体前の同月初旬、明美さんとともに中に入り、遺品に目を通させて頂いた。これまでの連載で紹介した一家の遺品は、この時に見つけたものや、明美さんの元にあったものだ。

 球吾さんの自宅には、原爆にまつわる多くの資料が眠っていた。

 「原爆の日はここで集まっていたんです」。居間で明美さんがそう教えてくれる。本棚には、原爆関係の本もあった。この連載でも紹介した「爆心の丘にて」や「純女学徒隊殉難の記録」などの本だ。球吾さんが尽力した復元関係の資料も見つかった。

 仏壇があった場所の壁には、額に入った二つの賞状のような「勲記」が掲げられていた。「勲八等に叙し瑞宝章を贈る」とある。一つは1969年に長女和子さんに、もう一つは70年に次女公子さんに贈られたようだ。2人とも軍需工場で被爆し、亡くなった。内閣府賞勲局によると、2人は第2次大戦に従事し、亡くなった軍人・軍属らに与えられる「戦没者叙勲」を受章。受章者名簿では最終官職が「海軍の雇員」になっているという。

 部屋の一番目立つ場所に球吾さんが勲記を掲げたのは、なぜだったろう――。球吾さんの思いの強さを感じた。

 球吾さんの自宅で遺品の収集をした後日のこと。孫の明美さんから「こんなものがありました。何でしょう」と尋ねられた。

 「勲八等瑞宝章」の勲章だ。居間の勲記と同じ名称の勲章のため、長女和子さんか次女公子さんに贈られたものかもしれない。

 だが、当初はすぐに結びつかなかった。私は球吾さんに贈られたものと思い込み、その点から調べ始めた。内閣府賞勲局に問い合わせると、従軍した人たちに贈られることが多いということを知った。

 勲章についての知識がない私がまずしたのは、「勲八等瑞宝章」をインターネットで検索すること。すると、同じ勲章がネットで売買されていることを知った。

 戦時中に出征した人のために書かれた日の丸の寄せ書きが売買されている、という記事を読んだこともある。時が流れ、歴史を伝える物が、人や思いと切り離されていく――。しょうがないことかもしれないが、その時代を生きた人のことを思うと切なさも感じる。

 球吾さん方から見つかった遺品には数通の手紙もあった。遺族の了承を得て、中身を確認させてもらった。多くが球吾さんに感謝を述べるものだ。文面からだけでは、詳しい経緯がわからないものもある。だが、こんな手紙を見つけた。

 1968年の消印の封書。「おかげ様で先日やっと原爆手帖(てちょう)を賜る事が出来ました」。「原爆手帖」とは被爆者健康手帳のことだろう。球吾さんが手助けをしたようだ。手帳をとれば、健康管理手当などの援護を申請することができる。

 手紙の差出人は諫早市の向井艶子(むかいつやこ)さん。手紙の背景を知りたいと、諫早を訪ねると、すでに向井さんは亡くなっていた。弟の嘉太郎(かたろう)さん(94)は「姉は原爆手当をもらいよった。(手帳取得のために)証人になってもらったのかもしれない」と語る。手帳の取得には、証人などにより被爆の裏付けが求められるからだ。向井さんは被爆後に救護のために被爆地に入った「入市被爆者」だった。

 向井さんは被爆当時も諫早市に住んでいた。弟の嘉太郎さんや娘の山口惇子(やまぐちじゅんこ)さん(73)によると、向井さんは被爆した姉の娘の野口幸子(のぐちさちこ)さんを助けに行ったという。

 野口さんは当時、県立長崎高等女学校の生徒。両親は仕事のため、日本の植民地だった京城(現在の韓国・ソウル)にいて、野口さんは祖父母と長崎市の稲佐橋付近で暮らしていたらしい。野口さんは爆心地に近い浦上地区の兵器製作所に動員されていたという。

 そこに原爆が襲った。向井さんは被爆1週間後くらいから、長姉の夫と被爆地に入ったが、野口さんは亡くなったという。嘉太郎さんは「(野口さんに)ガラスの破片がたくさん入っていた」という話を覚えている。

 向井さんは1978年、64歳で亡くなった。嘉太郎さんはこう語る。「6人きょうだいで、みんな長生きしたが、原爆を体験した姉だけ早く死んだ。(姉は)原爆が原因だと思っていたと思う」

 野口さんがどこで被爆したのかが気になった。同様に女学校に在学し、学徒動員中に被爆して亡くなった球吾さんの次女の公子さんのことを取材したことから、同じように若くして亡くなった人のことを記録したいという思いもあったし、被爆場所が判明すれば、球吾さんと向井さんの接点がわかるかもしれない、とも思った。

 手がかりは「浦上地区の兵器製…

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