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 代助はこういう考(かんがえ)で、新聞記事に対しては別に驚ろきもしなかった。父と兄の会社についても心配をするほど正直ではなかった。ただ三千代の事だけが多少気に掛(かか)った。けれども、徒手(てぶら)で行くのが面白くないんで、そのうちの事と腹の中で料簡(りょうけん)を定めて、日々(にちにち)読書に耽(ふけ)って四、五日過(すご)した。不思議な事にその後(ご)例の金の件については、平岡(ひらおか)からも三千代からも何ともいって来なかった。代助は心のうちに、あるいは三千代がまた一人で返事を聞きに来る事もあるだろうと、実は心待(こころまち)に待っていたのだが、その甲斐(かい)はなかった。

 しまいにアンニュイを感じ出した。どこか遊びに行く所はあるまいかと、娯楽案内を捜(さが)して、芝居でも見ようという気を起した。神楽坂から外濠線(そとぼりせん)へ乗って、御茶(おちゃ)の水(みず)まで来るうちに気が変って、森川町(もりかわちょう)にいる寺尾(てらお)という同窓の友達を尋ねる事にした。この男は学校を出ると、教師は厭(いや)だから文学を職業とするといい出して、他(ほか)のものの留めるにもかかわらず、危険な商売をやり始めた。やり始めてから三年になるが、いまだに名声も上(あが)らず、窮々(きゅうきゅう)いって原稿生活を持続している。自分の関係のある雑誌に、何でも好(い)いから書けと逼(せま)るので、代助は一度面白いものを寄草した事がある。それは一カ月の間雑誌屋の店頭に曝(さら)されたぎり、永久人間世界からどこかへ、運命のために持って行かれてしまった。それぎり代助は筆を執る事を御免(ごめん)蒙(こうむ)った。寺尾は逢(あ)うたんびに、もっと書け書けと勧(すす)める。そうして、己(おれ)を見ろというのが口癖(くちくせ)であった。けれども外(ほか)の人に聞くと、寺尾ももう陥落するだろうという評判であった。大変露西亜(ロシア)ものが好(すき)で、ことに人が名前を知らない作家が好で、なけなしの銭(ぜに)を工面しては新刊物を買うのが道楽であった。あまり気燄(きえん)が高かった時、代助が、文学者も恐露病(きょうろびょう)に罹(かか)ってるうちはまだ駄目だ。一旦(いったん)日露戦争を経過したものでないと話せないと冷評(ひやかし)返した事がある。すると寺尾は真面目(まじめ)な顔をして、戦争は何時(いつ)でもするが、日露戦争後の日本のように往生しちゃ詰(つま)らんじゃないか。やっぱり恐露病に罹ってる方が、卑怯(ひきょう)でも安全だ、と答えてやっぱり露西亜文学を鼓吹(こすい)していた。

 玄関から座敷へ通って見ると、…

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