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 3月20日で74歳になりました。中学時代から、もう60年走り続けていることになりますね。幸い、今まで私には致命的な故障がありませんでした。また、東京五輪の頃などは、足が多少痛くても、痛くないと暗示をかけて走っていました。そうすると、案外走れてしまうことがありました。

 誕生日の5日前に福岡・久留米市であった「第20回記念筑後川くるめ菜の花マラソン」に招待していただき、10キロを1時間16分ほどで走りました。ずっと足の調子が悪かったので、10キロを走ったのは昨年11月以来。暖かくなり、だいぶ調子も戻ってきました。4月も招待されているレースが三つあります。来年のボストンに向けて少しずつ走れるようにしたいです。

 今夏に北京である世界選手権のマラソン代表選考が話題になりました。女子の選考で、横浜国際女子マラソンで優勝した田中智美さん(第一生命)が選ばれなかった。詳しい事情は私には分かりません。ただ、私も代表選考で騒がれ、その上で選ばれた経験があります。銀メダルを取ったメキシコ五輪の時です。

 3人のうち、佐々木精一郎さんと宇佐美彰朗さんは当確。最後の1人を私と采谷(うねたに)義秋さんで争う形になりました。私は前年、メキシコであったプレ五輪で日本選手トップの2位になりましたが、翌年の別府大分とびわ湖の両マラソンでは采谷さんに連敗。高橋進コーチは、高地のメキシコで結果を出せるのは私だと言ってくれましたが、私は「采谷さんが選ばれて当然だ」と思っていました。結局、4人を代表として選び、その後の調整具合を見て出場する3人を絞ることに決まったのです。

 最終的に私が出場して銀メダルを取れたのは、運がよかったとしか言いようがありません。選考でもめても、絶対に自分が出るんだという思いはあまりなかった。すでに東京五輪に出ていたので、執着がなかったのです。当時は毎日やるべきことを淡々とやることしか考えず、平常心だったというか、随分と無神経だったのかもしれません。本番でも、最も期待されていたのは佐々木さんで、私は3番目。気楽に走れたのが結果につながりました。

 その采谷さんとは、翌年にヨーロッパ遠征で一緒になり、すっかり仲良くなりました。2人ともビールが大好きで、毎晩のように競い合って飲みました。走ることで負けても悔しくないのに、お酒で負けるとなぜか悔しかった。

 今も仲が良く、ざっくばらんに話し合える間柄です。広島県呉市に住む采谷さんとは年に一度は会いますし、彼の名前を冠したクロスカントリーの大会に私が出場したこともあります。采谷さんは長い間、あの選考の悔しさを私に語っていましたね。(メキシコ五輪マラソン銀メダリスト)

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