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 5月22日まで米ニューヨークで開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議で、最終文書をまとめられない、という結果を長崎で知り、やるせない気持ちになった。被爆70年の節目にはるばるニューヨークへ足を運び、核廃絶を訴えた被爆者らを取材した。現地の一人ひとりにはその思いは響いた、と実感した。だが、大国の論理が優先される国際会議の舞台には、被爆者らの声は届かなかった。

 今回、会議にあわせ、ニューヨークを訪問した被爆者の多くは高齢のため、「今回が最後」との思いで現地入りした。「生きているうちに核廃絶に向け、進展してほしい」という切実な思いを抱えて――。

 16歳の時に長崎市で被爆した長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜曄(すみてる)さん(86)もその一人。4月24日、NGOがニューヨーク市内で主催したイベントで、「私は1945年8月9日、爆心地から1・8キロの所を走っていて、背後から熱線を浴びました」と語った。

 背中に重度のやけどを負い、1年9カ月の寝たきり生活を強いられ、いつ死んでもおかしくなかった。このことを伝え、最後に2枚の写真を掲げた。

 1枚は被爆から半年後、ベッドに横たわり、背中のやけどの治療を受ける姿。もう1枚は、その闘病生活で床ずれして変形した胸の写真。「今でも肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見える。私はこんな状態で今日まで生きてきました」

 長年、被爆者運動をしてきたが、昨年夏には入院するなどし、今回も体調が優れない中の渡米。体重は40キロを切っており、周囲も「気力だけでやっている」と感嘆した。

 ニューヨーク在住のパット・ラッセルさん(57)は谷口さんの証言を聞いて興奮していた。「圧倒された。感動した」

 これまで核兵器の問題は自分に関わりのあることとは思っておらず、このイベントにはたまたま友人から誘われて参加したという。初めて被爆者の証言を聞き、「(この問題について)考えたことがないことが恥ずかしい。世界中の人が彼の話を聞き、彼に会ってほしい」と話していた。

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