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 明智光秀が織田信長を討った本能寺の変(1582年)の4年前、土佐の長宗我部元親が信長の了解のもとで四国征服を進めていたことが、林原美術館(岡山市北区)が所蔵する石谷家(いしがいけ)文書からわかった。同館と県立博物館が29日、発表した。元親側から光秀側に宛てた手紙で、元親と信長の良好だった関係が浮かび上がり、信長の一方的な四国政策の転換が変の引き金になったとする説を補完する史料と言えるという。

 文書から見つかった手紙は、1578(天正6)年に元親の家臣中島重房らが詳細不明の「井上殿」に宛てたものとみられていたが、東京大学史料編纂(へんさん)所が赤外線写真で撮影した結果、緊密に連絡を取り合っていた光秀の家臣の斎藤利三と石谷頼辰とに宛てたものとわかった。

 手紙では、信長から元親に出された朱印状に対する感謝を述べ、阿波への出兵など戦略を記しており、信長の了解を得て、四国征服を進めていた証拠と言えるという。

 だが、その後、急速に勢力を広げる元親を警戒した信長が政策を変え、土佐と阿波半国のみの領有を認めたことに元親が反発。両者の仲介役の光秀は面目をつぶされ、信長と元親の間で板挟み状態になったとされる。

 内池英樹・県立博物館主幹は「…

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