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 けれども三千代と最後の会見を遂(と)げた今更、父の意に叶(かな)うような当座の孝行は代助には出来かねた。彼は元来がどっち付かずの男であった。誰の命令も文字(もんじ)通りに拝承した事のない代りには、誰の意見にも露(むき)に抵抗した試(ためし)がなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生(うま)れ付(つき)とも思われる遣口(やりくち)であった。彼自身さえ、この二つの非難のいずれかを聞いた時に、そうかも知れないと、腹の中で首を捩(ひね)らぬ訳には行かなかった。しかしその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、むしろ彼に融通の利く両(ふた)つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。かれはこの能力のために、今日(こんにち)まで一図(いちず)に物に向って突進する勇気を挫(くじ)かれた。即(つ)かず離れず現状に立ち竦(すく)んでいる事がしばしばあった。この現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのでなくて、かえって明白な判断に本(もとづ)いて起(おこ)るという事実は、彼が犯すべからざる敢為(かんい)の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである。三千代の場合は、即ちその適例であった。

 彼は三千代の前に告白した己(おの)れを、父の前で白紙にしようとは想(おも)い到らなかった。同時に父に対しては、心(しん)から気の毒であった。平生(へいぜい)の代助がこの際に執るべき方針はいわずして明らかであった。三千代との関係を撤回する不便なしに、父に満足を与えるための結婚を承諾するに外ならなかった。代助はかくして双方を調和する事が出来た。どっち付かずに真中へ立って、煮え切らずに前進する事は容易であった。けれども、今の彼は、不断の彼とは趣を異(こと)にしていた。再び半身(はんしん)を埒外(らつがい)に挺(ぬきん)でて、余人と握手するのは既に遅かった。彼は三千代に対する自己の責任をそれほど深く重いものと信じていた。彼の信念は半(なか)ば頭の判断から来た。半ば心の憧憬(どうけい)から来た。二つのものが大きな濤(なみ)の如くに彼を支配した。彼は平生の自分から生れ変ったように父の前に立った。

 彼は平生の代助の如く、なるべ…

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