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第1章:4

 公判2日目は、被害者の陳述があった。

 裁判員の古平衣美さん(42)は、衰弱した様子で証言台に立つ50代の女性の姿に衝撃を受けた。

 その場に立ちたくないが、何とか出てきたという様子が、手に取るようにわかった。声はか細く、絞り出すように言葉を重ねる姿に胸が詰まった。

 見知らぬ男にいきなり背中を包丁で刺されるという経験をした女性は、いまもまな板を入れたリュックを背負わないと外出できない、と告白した。

 傍聴席には、女性の家族とみられる人たちもいた。彼らは、被告に鋭い視線を向けていた。当の被告はというと、うつむいてボソボソと独り言を言っている。

 前日には被告の男性の恵まれない生い立ちを知り、親や社会にも問題があるのではと感じた。しかし、この日、いまも恐怖におびえる被害者の姿を見、声を聞いた。厳罰を望む被害者と家族らの気持ちは心に迫った。

 感情があっちにこっちに大きく揺さぶられた。「冷静に」と自分自身に言い聞かせたものの、「ジェットコースターのようだった」と古平さんは振り返る。

 被告人質問に立った男性はずっとうつむいたまま。本人の口から謝罪の言葉が出ることはなく、反省しているようには見えなかった。その態度には、ちょっと腹立たしさを覚えた。

 検察の論告求刑は懲役10年。3日目の朝から話し合うことになった。

 求刑10年の事件は実際、どれぐらいの判決になっているのだろう。質問すると、裁判官がパソコンでデータベースを調べてくれた。いわゆる量刑検索システムだ。「再犯・殺人未遂」で調べると、これまでの判決がずらっと並んだ。「殺人未遂・10年」と入れると、過去の事件の内容が出てきた。

 古平さんは、男性が出所するときの年齢を計算してみた。刑務所に入ったらどんな生活を送るのか。精神疾患は治療できるのだろうか。そんな疑問もわいた。

 評議は自由に発言できる雰囲気で行われた。裁判員からいろんな意見が出た。プロの裁判官が自分の意見を言っていれば、それに引っ張られていたかもしれないが、裁判官は自分の意見は言わなかった。

 結局、合議体が出した判決は、求刑通りの懲役10年。その日の午後、言い渡された。

 裁判員に選ばれてからの3日間。一生懸命考え、話し合い、結論を出した。感情の起伏が激しく、疲労感は半端ではなかったが、終わったときには、マラソンを走り終えたような達成感、高揚感があった。一仕事を終えたという安堵(あんど)感も。その勢いで、裁判員全員で記者会見にも出てしまった。

 すぐに後悔した。名前も顔も明かさずに臨んだが、テレビカメラが並び、目の前には二十数人の記者がいた。テレビ用のライトがやけにまぶしかった。記者たちは、裁判員がひとこと発するたびに、パソコンのキーボードを激しくたたいた。その速さと音の大きさに圧倒された。

 記者の質問はある点に集中した。裁判は、被告が自分の名前を否認するという予想外の展開から始まった。にもかかわらず、予定通りの3日で裁判が終わったことについて裁判官の誘導があったのではないか、という問いだった。

 古平さんは当たらないようにと、ずっと下を向いていた。それでも質問された。「裁判官はこうしましょうというようなことは何も言いませんでした。私たちは、被告が本人であるということで進めました」。やっとのことで答えた。

 会見は30分ぐらいだっただろうか。記者たちが方向性を決め、答えられないようないじわるな質問をしてくるように感じた。その後、記者と知り合いになってやりとりすると、認識は変わるのだが、何もかもが初体験だった古平さんにとっては、「マスコミは怖いな」というのが、最初の正直な印象だった。

 会見が終わり、逃げるように裁判所を後にした。それでも、裁判員を最後まで務めた体験そのものには充実感があふれていた。

 「やってよかった!」

 このとき、古平さんは心の底からそう思っていた。(編集委員・大久保真紀