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第1章:6

 「裁判員制度なんてやめた方がいい。私のように悩み苦しむ人を増やして何の意味があるのか」。殺人未遂事件で裁判員を務めた古平衣美さん(42)は、裁判の後にこんな思いを抱くようになっていた。

 裁判員をして2年半ほどした2012年9月。ある新聞社の座談会に呼ばれた。裁判員経験者のほか、検察庁、裁判所、弁護士会の法曹3者の代表も来ていた。

 裁判員をして犯罪がひとごととは思えなくはなった。だが、あれでよかったのかという悩みの方が大きかった。

 座談会の休憩時間でのことだ。「裁判員をして何かいいことがあるのでしょうか」と口にした。その場にいた検事がこう答えた。

 「犯罪をひとごとと思えなくなった人が増えれば、犯罪の抑止力になる」

 その言葉が、心にしみこんでいった。

 裁判員を経験し、世の中の見方が変わった。凶悪事件が起きたときも、「怖い」「ひどい」で終わらず、どうしてそこまでいったのだろうか、周囲が何かできなかったのだろうか、と娘や息子と話し合うようになった。

 いずれ子どもたちが裁判員になる時代がくる。

 自分が評議で話したのは周りの雰囲気に流されての意見だった。人を裁くという判断をしなくてはいけないときに、本当に自分で客観的に考え、出せた意見だったのだろうか。それが古平さんの悩みの種だった。裁判員をやっても自分のように苦しまないためには、気持ちや考えを整理し、自分の意見を言う力、人の意見を受け入れる力、納得して判断する力が必要だ、と思うようになった。

 何よりも、裁判員経験をネガティブなものにしたくなかった。「良かったと思えることにしたい」「人に対して何かに還元できないだろうか」。その思いが、背中を押した。

 ママ友を集めて体験を語り、さらに、声をかけて、裁判員裁判の傍聴に出かけた。反応はさまざまだが、「本番がいつ来ても大丈夫」というママ友も出て来た。同時に、いつかくる日に備えて、子どもたちが「考える力」をつけておく必要があると、昨春から小学4~6年を対象に「ディスカッション講座」を始めた。裁判員や裁判員制度について直接言及することはないが、自分が裁判員になって必要だと感じた能力を子どもたちに身につけてもらおうというものだ。

 今年3月、古平さんは小5の女の子7人を前に問いかけていた。「どうすればいいと思う?」。貸した本を汚されて、本を返してきた友人を突き飛ばしたという設定で、解決策を探るやりとりをしていた。

 「貸さない」「お互いに謝った方がいい」「手紙を書く」……。子どもたちが貸した役、借りた役になり、それぞれの立場から自分の意見を言い合った。

 「正解はありません。どうしたらいいかと考えるのが大切なのです」と古平さんは語りかけた。

 講座は全12回。裁判員をした後に取得した臨床心理カウンセラーの資格を生かし、グループ分け、約束、先入観など毎回テーマを決めて話し合っている。

 親や先生がよしとする意見ではなく、本当に自分が思っていることに気づくこと、相手の立場に立って考えることを身につけつつ、一方で自分の意見もきちんと言えるようになることが目標だ。娘、息子のほか、彼らの友人たちなどすでに20人以上が受講した。

 「子どもってすごい。何回か講座を経ると、人の言うことを聞けなかった子が聞けるようになり、自分の意見を言えなかった子が言えるようになるんですよ」

 古平さんはこの講座を始めて、「裁判員をやってよかった」と思えるようになった。「社会に対して自分なりにできることをやっていきたい」と笑顔を見せる。

 裁判員をして5年。

 経験しなければ見えなかったことがたくさんあった。

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 第1章は今回で終わりです。(編集委員・大久保真紀