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 大阪府高槻市の安満(あま)遺跡で、弥生時代前期(約2500年前)の水田跡や墓が見つかった。市教育委員会が19日発表した。過去の調査で住居の柱跡なども確認されており、稲作開始時期の生産と居住、埋葬の機能が同一遺跡で確認出来るのは全国的に珍しいという。

 安満遺跡は1928年に発見。その後の調査で集落を囲む環濠(かんごう)や弥生時代中期から後期の方形周溝墓や木棺墓が確認されており、一部が国の史跡に指定されている。

 市教委によると、今回は遺跡公園の造成に伴い昨年9月から調査。約9千平方メートルの水田を確認した。あぜ(幅0・2~2メートル、高さ5~20センチ)で10~65平方メートルずつの長方形57枚に区画され、弥生時代によくみられる「小区画水田」の特徴をもつという。

 土砂が最大約40センチの厚さで積もっており、弥生前期の末ごろに洪水被害を受けたらしい。洪水の直後に水田の様子を見に来たとみられる人の足跡(長さ22~27センチ)約20個もあった。

 弥生時代前期の大規模な水田跡は、秋津・中西遺跡(奈良県御所市)、服部遺跡(滋賀県守山市)、池島・福万寺遺跡(大阪府八尾市、東大阪市)などがあり、それらに次ぐ広さという。

 洪水による堆積(たいせき)砂層からは、同時期の土器棺墓や、弥生中期以降の方形周溝墓や木棺墓が計16基見つかった。洪水による土砂で、水田に適さない土地になったため、墓地を造ったとみられる。発掘調査に携わった高槻市立今城塚古代歴史館の森田克行館長は「災害から間を置かずに土地を再整備している。弥生人たちのたくましさがうかがえる」と話す。

 立命館大学の和田晴吾・名誉教授(考古学)は「弥生時代前期の住居、水田、墓がそろって、これほど良好な状態で保存されている遺跡は、全国でも例がないのでは。日本の水稲農耕社会の出発点の様子を具体的に知ることができ、極めて貴重だ」という。

 現地説明会は27日午後1~3時と、28日午前10時~午後3時の2回。雨天中止。問い合わせは市立今城塚古代歴史館(072・682・0820)。(大部俊哉)