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 神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)=事件当時14歳=が書いた手記『絶歌』の出版をめぐり、議論が起きている。加害者は語りうるのか、遺族感情にはいかに配慮すべきなのか。2人の識者に聞いた。

森達也さん(映画監督・作家)

 事件の被害者遺族が「手記を出版されたくなかった」と感じるのは当然と思います。

 もし「自分が同じ立場に置かれたらどう思うか」と尋ねられたら、「その立場になってみないと分からない」と答えます。ただ、やはり「出版など許せない」と言うかもしれない、との思いはある。

 他方で、「出版をやめさせて本を回収すべきだ」という意見が強まる現状には違和感があります。発表された言論や表現を封殺してよいのか、という疑問があるからです。感情は大事な要素だと僕も思うので、ためらいはありますが、ここは「論理も大事なのではないか」と訴えたい。禁書や焚書(ふんしょ)を生みだす社会が個人に優しい社会であるとは、思えないからです。

 出版するなら遺族の了承を得るべきだったとの批判があります。確かに僕も、出版しますと伝えた方が良かったとは思う。ただ、「そうすべきだった」とは言いたくない。

 匿名でなく実名で書いてほしかったとの思いも抱きました。しかしこの点でも、「それが出版の条件だろう」という話には賛同しません。少年期の行為のせいで彼の生活基盤を奪うことは少年法の精神に反すると考えるからです。

 もし遺族からの事前了承を出版のための条件として社会ルールにするならば、加害者の経験や思いがブラックボックスに入ってしまう事態も起きえます。実際、今回の手記には発見もありました。少年院を退院したあと、受け入れて支えてくれた人々がたくさんいたという事実です。

 とはいえ、「意味のある本だから出版されるべきだ」と主張したいのではありません。「多くの人が納得できる意味づけがなければ出版されるべきではない」という空気が強まることの方が心配です。(聞き手=編集委員・塩倉裕)

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 もり・たつや 1956年生まれ。映像作品にオウム真理教のドキュメンタリー映画「A」など。著書『A3』は講談社ノンフィクション賞。明治大特任教授(ジャーナリズム論)。

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諸澤英道さん(常磐大学教授)

 表現の自由が手厚く保護されている日本では、加害者が「書きたい放題」といっていいほどこの種の本を出してきました。無論、表現の自由は民主主義の大前提であり、加害者が書いたものだから規制すべきだということではありません。しかし、それにしても本書は問題点が多すぎます。

 過去の加害者の出版は、著者が実刑を受けたり、獄中にいたりする例がほとんどでしたが、本書の著者は少年法によって法的には犯罪者として扱われず、あくまで保護の対象として家裁の審判を受け、社会復帰しています。刑法でのサンクション(制裁)とはレベルがあまりに違い、世間が「罪を償っていない」と感じるのも無理はありません。

 内容的にも、被害者に対して謝罪をして理解してもらうという努力が感じられません。文学的な脚色が多く、事件と向き合っていくという真摯(しんし)さが伝わってこない。また、過去を清算して新しい人生を歩む覚悟があるなら、少年法で保護された延長線上で匿名のまま発信するのではなく、実名で出版すべきでした。

 犯罪を助長する表現こそありませんが、医療少年院での専門サポートチームや仮釈放後の手厚い支援などの様子が詳しく書かれており、犯罪者の処遇について世間に誤解を与える危険性があります。元少年に施されたのは、特異な事例における例外的な「特別扱い」です。ところが、それが逆に、潜在的に犯罪に憧れる人にとっては英雄的に映ってしまうかもしれません。

 18年間、遺族が求めていたのは彼が事件を心から反省し、成長し、面と向かって謝罪をすることでした。そうした努力を端折り、再び遺族の心を乱す罪作りな手段を選んでしまった。彼にはもう一度原点に立ち返り、遺族と向き合って欲しいと思います。(聞き手=板垣麻衣子)

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 もろさわ・ひでみち 1942年生まれ。専門は被害者学、刑法、少年法など。全国犯罪被害者の会などの顧問も務める。

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