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広島市(広島) 沖田信枝さん(80) 10歳

 当時は伴(とも)国民学校(広島市安佐南区)の5年生。勤労奉仕の名のもと、運動場に芋を植えたり、近くの森林を伐採してもらって開墾をしたりしていました。

 8月6日は夏休み期間ですが、勉強らしい勉強ができていなかったので、午前10時から授業があることになっていました。近くの家に疎開している子と学校に行く途中、南の方の山がピカッと光り、「ドン」という音がしました。辺りが真っ暗になり、猛烈な風。山のほうを見ると、大きなキノコ雲が立ち上がるのが見えました。すさまじい爆風で家々の障子が飛ばされ、ガラスも割れました。

 お昼前になって近隣の家の掃除から友達2人と帰ろうとしたところ、空が真っ暗になって黒い雨が落ちてきました。田んぼには吹き飛んだ家屋の屋根など色んな資材がぐちゃぐちゃになっていました。水も真っ黒になってピカピカと光り、油の中に稲が立っているように見えました。

 川の水も真っ黒で、川面には死んだ魚がたくさん浮いているのも見ました。男の子たちは川の中に入って浮いた魚を拾って食べていた。当時は食べ物がなかったんです。その年の稲は豊作で、お米はとてもおいしかったのを覚えています。

 夕方になって太陽が異様な赤銅色に輝き、「おかしなお日様でだね」と家族で話しました。

 兄の敏朗は8月6日、午前5時に仕事に出かけ、8時前には勤め先の広島駅に到着していたんだろうと思います。夜になっても帰ってこないので、翌日、父が1人で、翌々日には父と母が横川駅から広島駅まで歩いて兄を捜しました。

 線路脇にはたくさんの死者がうつぶせに寝かされていたそうです。兄は父が作った特別なベルトのバックルをしていたので、一体一体を裏返して、兄かどうか確認したそうです。ベルトのバックルと着ていた服の特徴から、旧西警察署(現広島市中区大手町付近)のそばの水槽にあった遺体が兄だと特定できました。

 いつか原爆症の症状が出るのだろうか。不安は常にあります。たった1発の原子爆弾で、多くの人が亡くなっていきました。核エネルギーを人類に使わないでください。広島、長崎で終わりにしてください。(聞き手・雨宮徹)

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