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就活する君へ

 就職活動でも仕事場でも、努力や期待に反してうまくいかないことはしばしばです。自分を責めたり、他人のせいにしたり。イライラして、落ち込んで……。そんな「煩悩」から救われる道はあるのでしょうか。文筆活動でも活躍する僧侶の小池龍之介さん(36)に聞きました。

     ◇

 ――大学を卒業して僧侶となりました。

 「学生時代は哲学の研究者になるつもりでした。しかし、人間関係がぜんぜんうまくいかない。哲学を学んでも、実際の処世に役に立たない。大学院に進む試験のその日に『やっぱりやめた』と欠席しました。高校時代に僧籍はとっていましたが、仏教が自分にとって役立ったという経験はありませんでした。一方で、当時は(オウム事件など)宗教が世の中を騒がせた直後、伝統宗教がきちんと機能していないことに強い問題意識を持っていました。人が新興宗教や精神科に行く前に、話を聞くことで癒やしとなるお坊さんの機能を果たせないか、と思うようになりました。大学卒業後は知り合いのツテでお寺に、就職するような形で入りました」

 ――「働くこと」はどうとらえているのでしょう?

 「公式見解とホンネは若干違います。働くことは、それが迷惑なものでない限り、他者から求められていること。他者の役に立っていると実感できることは自分の存在基盤を確固たるものにしてくれます。その意味で、他人のためにも自分のためにもなる、生きるために必要なことです。ホンネとしては、そのために瞑想(めいそう)の時間が遮られたり、瞑想指導者の後進を育てようにも時間的な調整が難しかったり。檀家(だんか)さんの思いとズレも生じます。仕事のために、やりたいことができないケースもあります」

 ――就活でも「やりたいこと」と仕事は必ずしも一致しません。

 「『やりたいこと』は、『まやかし』のようなところがあります。例えばIT系の仕事をやりたいという人も、もうけがありそうだとか、社会的な評価が高いからやりたいと思っているだけで、収入も少なく社会的評価も低くて将来性もなさそうなら、やりたいと思わないかもしれません。絵描きになりたいと言っている人も、親や先生から褒められ、それが喜びの記憶となって、絵を描くことが楽しいと思い込み、本当は褒められたいだけということもある。『やりたいこと』は、実は自分の周囲や社会からすり込まれた錯覚の可能性がある。だから、そんなにこだわる必要はないのでは」

 「むしろ、自分にできること、できないこと、得意なこと、苦手なこと、をよく知ることです。自分のしたいことが、実は自分が不得意だったり、それ自体は得意でも、付随する人間関係がものすごく苦手だったりするとうまくいかない。自分が『したいこと』よりも『できること』にもとづいて仕事を選んだ方がいい」

 「『下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかない』という名言があります。誰でもできそうなことを、ただひたすら打ち込むことで他人に認められ、信頼を得て、もう少しいいこと、チャレンジングなことを任される。やりたいことしかしないのは悪い風潮です。したいことをして、苦手なこともどんどん乗り越えて、すごいことを成し遂げられる人は少数派です」

 ――就活でも、働きはじめてからも、自分だけ認められないといった葛藤があると思います。乗り越える方法はありますか?

 「認められないのはおかしいという思考はしない方がいい。因果応報で間違ったことは起きない。おべんちゃらばかりを言うように見える人がいても、それはひとつの能力。上司の機嫌を悪くせず職場の和を取り持っている。仕事の遂行能力以外にも、見た目とか愛想のよさとか謙虚さとか、人柄の明るさや暗さも、全部足したものが能力です。自分だけ認められないと文句を言う人は、もっと狭い、仕事の遂行能力だけを見て言う傾向がある。学歴が高い人にありがちです」

 「評価されるかどうかは、自分の言動や気付いていない自分のオーラからの総合的な帰結。評価を受け入れず、『本当はもっとすごいのに』とピリピリしていると、周りからは暗く、傲慢(ごうまん)に見えます。評価はさらに下がります。この悪循環に陥らないためには、評価に対して、もっと複眼的に幅広く見なければならない。ひきょうだと思うかわりにその相手から学ぼうとする視点を持てば、気持ちも明るくなります」

 ――仏教の「足るを知る」がまだよくわかりません。成長するには飢餓感やどんよくさも必要だと思うのですが。

 「仏教の『足るを知る』を、向上心がなくなると考えるのは典型的な誤解です。『精進』というのは仏教の言葉で、努力することは常に推奨されています。努力の意味を現代人は『自分の力量を知らずにそれをはるかに超えたものを成し遂げようとすること』と思い込んでいる。自分にむち打ってへとへとになり、できないからイライラしてストレスをためる。それは第一に時間の無駄だし、第二にそのたまったストレスを解消するために休日に娯楽に時間を費やしたり、旅行に行ったり。それは仏教では『怠慢』なのです」

 ――え、オフは怠慢なんですか?

 「はい。仏教には常に精進しなさいという考えがあるからです。適切に精進するために自分の力を見極めたら、それ以下にセーブするのは怠慢です。かといってそれ以上の力を出そうとしたら疲れ果ててしまう。それも適切ではない。自分がクタクタにならずに済むのはどのジャンルで、どのくらいまでならできるか、を理解した上で常に限界まで力を出す。すると毎回達成できたという心地よさが維持できて、自己嫌悪に陥るとか、やる気がしないからその前にちょっと休憩しようとか、そういう循環に陥りません」

 ――周りからの期待というのは考えない方がいいわけですね。

 「他人の期待は、できるだけ省かないといけない。他人は自分に対して力量以上のものを期待しがち。それに応えようとすると、一気にキャパシティーを超えてしまいます。だから説明も必要です。自分のキャパシティーはこの程度、仕事にやる気がないわけじゃない。これ以上の仕事を引き受けると、クオリティーや効率が落ちてしまう、と。そのためには自分の自尊心をちょっと捨てないとだめですね。自尊心は、すぐ『できます』と言いたがるけれど、『自分はここまでしかできない。ちっぽけな人間だ』と思えないと」

 ――仕事選びでのアドバイスをお願いします。

 「言葉やイメージにだまされないで、実際にそれをやっている時の居心地のよしあしで仕事を選んだ方がいい。仕事に限らず人間は集中できなくなると居心地が悪くなるものです。考えごとが多いと居心地が悪く、無心に集中できれば心地よくなる。集中しにくい傾向のあるクリエーティブな仕事よりも、草むしりとかそうじとか一見つまらなそうな単純仕事の方が集中できて、気持ちがいい。居心地がよく、安定している、生き物としてまっとうな生活を送れる仕事を選んだ方が幸福度は高い。IT企業や広告会社、マスメディアよりは、伝統的な仕事の方を私としてはお薦めします」

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 こいけ・りゅうのすけ 1978年生まれ。大阪府出身。東京大学教養学部卒。カフェ経営など経て、月読寺・正現寺住職。著書に『こだわらない練習』(小学館)、『平常心のレッスン』(朝日新書)など。

記者のひとこと

 「努力は自分の力をはるかに超えたことを成し遂げることではない。力量を知り、その100%を出すこと」と小池さんは言います。

 わたしが就職して悩んだのは、どこまで頑張ればいいのか? でした。勉強すべき範囲がはっきりしていた学校時代とは大違い。やり過ぎて体調を崩し、やらなすぎて後悔し……を繰り返し、10年でようやく自分の力量がわかってきたような気がします。

 「できることをコツコツとする」というのはどこか地味な印象を受けるものの、実は基本的なことから順々に試すことで自分の力量を早く知り、確実に成果を上げていく一番の近道なのかもしれません。(神崎ちひろ)