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山口県防府市(広島) 國貞勇さん(87) 国鉄機関士

 14歳ごろに国鉄に入り、17歳で機関士に。今日から働くという日に原爆が落ちました。朝、岩国の機関区近くの家にいると助手が呼びに来て「國貞さん、出勤してください」と言う。何がおきたのか聞いても「全然分からんのです」。

 同僚が髪の毛をやけどしていました。顔や髪の毛のやけどは機関士として一番恥ずかしいことです。トンネルに入ると、煙突の煙りが逆流してやけどをする。経験を積めば、そんな失敗はしなくなります。顔や髪の毛は、みんなから笑われるケガなんです。「なんで、やけどしとんじゃ」と言ったら、みんなが「シー」という。その人たちが被爆してやけどしたというのは後から知った。

 「広島でガスタンクが爆発したらしい。みんなやけどしている」と聞かされたからです。「広島に救援列車を出せ」「いまから編成しろ」と言われて乗り込みました。警防団や国防婦人会、動員学徒、用務員や看護婦らを乗せ、6日の昼前に出発したと思う。

 横川駅は崩れて列車が通れず、「ここから先は信号はない」と言われました。広島駅へ向かいましたが、50メートル手前で駅に入ることができなかった。猿猴(えんこう)川の手前の橋でみんなをおろし、1人で火をくべるために機関車に乗りました。夕方、暗うなるまでおった。

 川には人間の死体がざぶざぶ流れてきました。数え切れないほどの死体です。性別と番号を打って、だいたいの年代も書き込んで、どんどん焼きました。「熱いから」と水を飲みにきた人も多かった。飲んだら安心して亡くなった。原爆でやられても鉄道は生きている。救援列車の機関士は毎日のようにやりました。

 前立腺がんは末期症状と言われている。ゆくゆくは鎮痛剤を打たないといけないらしい。町内会の集会などで、ときどき被爆体験を話し、子どもにも何遍も話しました。でも興味を持ってもらえませんね。(聞き手・岩波精

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