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広島市東区(広島) 森田節子さん(82) 高等女学校

 広島第二高等女学校1年の時、爆心地から約1・7キロの芋畑で農作業をしていて被爆しました。体を吹っ飛ばされました。気がつくと、辺りには全身が焼けただれた級友たちがうめき声を上げていました。

 仲の良い友人の手をつかんだ瞬間、彼女の手の皮がズルッとむけました。私も両腕の皮膚が垂れ下がり、右半身を中心にひどいやけどを負っていました。

 約5キロ離れた広島市南部の宇品の自宅まで歩きました。自宅も倒壊し、一緒に暮らしていた父と母も被爆していましたが、命は助かりました。父が懸命に看病してくれて、数カ月後には復学できるほど回復しました。ただ、腕を中心にケロイドが残り、学生時代はそれを見られるのがつらかった。

 被爆者の夫と結婚。25年ほど前、営んでいた会社の都合で広島に戻りました。帰って初めて被爆者健康手帳や手当の存在を知りました。1991年ごろから被爆体験を語り始めました。相手は主にカトリック系学校の修学旅行生です。当時働いていたホテルの仕事がない日や夜、教会などで証言しました。

 2010年には、核不拡散条約(NPT)再検討会議に合わせて渡米。現地の学校で「日本の子は核廃絶やテロ、沖縄の基地問題をどう考えているのですか」と問われ、答えに詰まりました。向こうの子にむしろ教えられた気がして、これからは子どもたちにこうした問題を問いかけたいと考えるようになりました。

 渡米時に絵画のモデルになったのをきっかけに、夫婦で英国のロンドンに滞在して証言もしました。被団協の推薦や知人の招きで、フランスや中国でも被爆体験を話しました。

 原爆は「特殊な兵器」。使うべきではありません。そのことは伝えなければならない。「思い知らせる世界」から「悟る世界」に変わることを願っています。(聞き手・雨宮徹)

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