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岩手県遠野市(広島) 伊藤宣夫さん(87) 陸軍船舶通信隊補充隊

 遠野中学校(旧制)では1年生のときから軍事教練があり、地元の陸軍中尉が教官として赴任していました。子ども時代を軍国主義のまっただ中で過ごし、国のため、天皇陛下のために軍人になることが最も良いことだと信じる軍国少年でした。

 学校で先生から「陸軍特別幹部候補生というのがあるから志願しろ」と勧められ、合格。1945年2月に入隊しました。「木造の小型船に爆弾を積み、敵艦が本土に近づくのを防ぐ部隊だ」と上官から聞かされました。

 入隊後、「通信兵に適正あり」とされて広島へ。転属した先は陸軍船舶通信隊補充隊。「暁部隊」と呼ばれていました。8月1日から5日まで、宇品港で実地訓練に参加していました。通信機材を設営し、3人一組で送信、受信、配達をする。5日夜、自分と2人の同僚は居残りを命じられ、翌日も宇品に残ることになった。

 6日午前8時ごろ、警戒警報が出され、防空壕(ごう)に入っていました。爆心から4・2キロ。しばらくして顔を出すと、鉄筋造りの船舶司令部のガラスが破れ、血まみれの将校が見えました。けが人の搬送を始めたが、人数が多く手がつけられない。司令官の命令を受け、午後8時半ごろ、班長以下7人で広島市中心部へ向かいました。

 あちこちで青い火が燃えて地獄の風景。「戦争は絶対だめだ」と思いました。8月11日には宇品に戻り、被爆者の介護にあたりました。毎日10人、15人が亡くなっていく。材木を集め、営庭で夕方から荼毘(だび)にふすのが日課でした。

 「国のため」といって国民が殺され、焼かれていくあの光景は絶対に忘れられない。今の政府はあの惨状を忘れてしまったのでしょうか。次世代を戦争に巻き込んではいけない。国は平和のために尽くす人材を育ててほしい。(聞き手・山西厚)

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