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東京都町田市(広島) 竹中清史さん(76) 6歳

 朝食を終えて布団を片付け始めたとき、ものすごい稲妻というか、フラッシュライトが何十倍も一度にたかれたような光がさしました。私は「お日さんが落ちた!」と大声を出し、母のそばへ飛んでいったそうです。

 両親は「自分たちは命が助かった。多くの犠牲者を思うと、お国の世話になどなれない」と被爆者健康手帳を取りませんでした。被爆のことも、「思い出したくない」と多くを語らずに亡くなりました。

 しかし、遺品の中から2人が「市民の戦争体験集」に書いた手記が見つかったんです。父は山口高等商業学校(現山口大)の教員でした。1942年に召集されて陸軍に。原爆が投下されたとき、とっさに伏せ、目の前にいた下士官は飛ばされていった……。そこには、私たちの知らないことがたくさん書かれていました。

 子どもだった自分の記憶はあいまいです。でも、大人の父と母は悲惨な場面をたくさん見たのでしょう。両親の残した手記を読み、欠けていた記憶が補われました。私は語りたくないというより、語る機会もなく過ごしてきました。でも、「歴史の証人」になろうと思うようになりました。

 5年ほど前、広島平和記念資料館に罹災(りさい)証明書の原本や中学生の時に書いた被爆体験の作文などを寄贈したんです。今年6月には、町田市の被爆者らでつくる「町友会」にも初めて顔を出しました。

 あの恐ろしいピカドンのことを後世に伝えていかないといけない。妻、2人の息子、孫とみんなで資料館へ行きたい。そして8月6日には、毎年祈ってほしいと思います。(聞き手・伊藤あずさ)

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