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東京都世田谷区(広島) 藪谷令子さん(73) 3歳

 父の転勤で、1945年6~10月まで広島にいました。当時の父は中国地方総監府第三部長で、己斐(現・広島市西区)に部長級の官舎があったんです。1番上の姉は疎開し、両親と祖母、2番目の姉、妹との6人暮らしでした。

 8月6日午前8時15分、父と姉は玄関で靴を履き、母と祖母は別の部屋で掃除をし、私と妹は朝食をとっていたそうです。突然、すごい光とゴーッという音がして地震のように揺れたんです。その音と揺れは、はっきり覚えています。

 小学校から東京で育ちました。高校3年のとき、父が57歳で亡くなりました。胃潰瘍(かいよう)と言われましたが、糖尿病で腎臓も悪かった。親戚は「ピカドンのせい」と話していました。その頃は自分の健康に不安は感じず、自分が被爆者だとも思っていなかった。

 JTBで働き、社内の人と結婚しようとしていたとき、妹の胃と食道のつなぎ目にがんが見つかりました。病室で妹に結婚を考える男性の写真を見せたら、「いいじゃない、優しそうで」と言ってくれて。入院してわずか3カ月、がんは肺にも転移していて、肺がんで亡くなりました。デザイン会社に入ったばかり。本当にふびんでした。

 母は骨髄腫でした。74歳でした。姉は60歳で心不全で。これだけ身内が死んでいくと、「やっぱり被爆が誘因をしているのかな」と考えてしまいます。

 私は卵巣に腫瘍(しゅよう)ができました。良性でしたが、医者に「被爆のせいですか」って聞くと「わからない」と言われました。昨年12月には一人息子が腸から出血する病気になり、ますます思いが強くなってしまう。

 20年ほど前、広島に行きました。折り鶴を見て涙がぽろぽろとこぼれました。家族の人生を大きく変えた街。復興した街を父や母に見てもらいたかったな。

 福島の原発事故の時、また同じようなことが起きたと思いました。福島のお母さんたちが、子どもへの放射能の影響を心配する気持ちがわかります。私も子どもを産んだとき、ちゃんと生まれてきてくれるか、不安でした。今も子どもへの放射能の影響は心配です。

 放射能という目に見えないものを恐れながら生きていくのは、福島の人たちも同じかなと思います。だから、福島のお母さんたちの気持ちに寄り添いたい。(聞き手・根津弥)

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