【動画】被爆70年アンケート、石原隆さんの証言
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名古屋市(広島) 石原隆さん(88) 広島高等師範学校生

 名古屋市で生まれ、旧制中学卒業後に広島高等師範学校に進みました。専門は数学。戦時中は学徒動員で東洋工業の寮に入り、銃の部品を作っていました。

 原爆が投下された日、夜勤明けで寮に戻って寝ていると、フラッシュのような光を感じ、爆風が建物を襲ってきました。寮の窓ガラスが飛び散り、寝ている自分の上をガラスが飛び越えて反対側の壁に突き刺さりました。

 全身にやけどを負い、ぼろぼろの格好をした人が工場のほうにぞろぞろとやってきました。何もできず、収容される人をただ見ていました。

 2、3日後、荷物を預けていた段原(現・広島市南区)へ。街に近づくと、辺り一面、屋根がぺちゃんこになっていて、どこがどこなのか見当もつかない。街の中心部まで行こうとしましたが、京橋川の橋の上で足が止まりました。一面の焼け野原。先に進もうと思えませんでした。

 10日の朝に列車で呉へ行きました。新しい工場に勤めるためでしたが、15日に戦争が終わり、地元に帰るよう指示されました。学校が再開するまで半年かかりました。3年後、愛知県で高校の数学教師になりました。

 十数年前、地域の小学校に頼まれ、初めて語り部として話をしました。本格的に話し始めたのは2013年からです。「ピースあいち」という資料館を運営するNPOを通じた語り部活動をするようになりました。「実体験を話せる人がいなくなっている」とスタッフから聞き、お役に立つならという気持ちで引き受けました。

 世の中、あまり好ましくない方向に向かっている気がします。安倍晋三首相が言う「平和」や「国民のために」という言葉はうさんくさい。昔のように、言葉でリードされて戦争に向かってしまうのではないでしょうか。

 私は小中学校の頃、世の中に少しも疑問を持たない軍国少年でした。アッツ島玉砕のニュースを聞き、クラスのみんなが「後に続くため、兵隊に志願しよう」と盛り上がっていました。それではいけない。いつも言っているのは「自分がおかしいと思ったら、おかしいと言えるようになりなさい」ということです。子どもたちには、自分の頭で考えてほしい。

 11年に起きた東日本大震災。津波で何もなくなった被災地の映像を見た時、焼け野原の広島と重なり、涙が出ました。原発は「核の平和利用」と思い、賛成していたんです。でも、今となっては安全でないことがわかった。海外に原発を売るなんて何をやっているんだと思う。

 震災まで原発と原爆、結びついていませんでした。人間は過ちを繰り返すものだけど、次に核で過ちを犯したら人類は終わる気がします。広島、長崎、福島の経験があった日本だからこそ、先頭をきって核の利用を中止すべきだと思っています。(聞き手・根津弥)

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