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東京都練馬区(広島) 鈴木操さん(79) 9歳

 8月6日は国民学校の校庭でわら草履を作っていました。ふっと上を見たら、B29爆撃機が飛行機雲を引きながら飛んできました。そして、ピカッと光が。男の先生が「照明弾だ! 伏せろ!」と叫びました。

 伏せった後に顔を上げると、砂ぼこりであたりは真っ白。先生に連れられて、山の方に逃げました。走りながら振り向くと、キノコ雲がもくもくと上がっていました。

 伯父は全身にやけどを負って、牛に乗せられて帰ってきました。牛は片目がとれて角も半分。それなのに峠を越えて伯父を運んできたのです。爆心地にいたもう一人の叔父は無傷でしたが、3日ほどして亡くなりました。

 2011年3月の東日本大震災。テレビから伝えられるのはがれきの山の惨状と、見えない放射能の恐怖――。3カ月がたったころ、「自分の目で見よう」と福島へ行きました。

 在来線とタクシーを乗り継いで沿岸を北上。陸側を見ると、建物は基礎部分だけになり、材木が山積みになっていました。広島の焼け野原を思い出しました。

 同じ核の被害を受けた者として、同じことは繰り返されたくない。語り部を頼まれた時、「原発を増やさないで」と訴えていきたいと思っています。(聞き手・伊藤あずさ)

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