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 70年前。たくさんの子どもたちが空襲などの戦禍で親を突然奪われた。過酷な戦後を生き抜き、小さな目で社会の現実を見つめた。消えていった無数の幼い命の代わりに、重い過去を伝える元戦争孤児たちがいる。

 「はよ逃げるんやっ」

 焼夷(しょうい)弾の嵐で天井が崩れかけた防空壕(ごう)から強く外へ押し出された。その時の必死な表情が、最後に目にした母の顔となった。

 1945年6月5日の神戸大空襲。山田清一郎さん(80)=埼玉県小鹿野町=の母は、崩壊した防空壕に埋もれた。父は3月の空襲で失っており、山田さんは10歳で孤児となった。

 「ここに母ちゃんがいる」と思うと離れられず、2日間ほど防空壕の前に座り込んだ。空腹に耐えかねて食べ物をあさり、また戻る。その繰り返しだった。

 終戦後も頼る人はいなかった。「拾うか、もらうか、盗むか」。それしか生きる道はなかった。弁当を食べている人の前に手を出す。屋台の客の食べ残しにとびつく。残飯もすくって食べた。

 三ノ宮駅近くの焼け跡に壊れた…

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