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核といのちを考える 被爆70年 願い(3)

 私たちがもっときちんと話をしていれば、54基もの原発ができることにはならなかったのではないか。4年5カ月前に東京電力福島第一原発で事故が起きて以来、後悔の念にさいなまれ続ける被爆者がいる。

 兵庫県芦屋市で暮らす千葉孝子(73)は1945年8月6日朝、広島で被爆した。3歳だった千葉には、原爆が炸裂(さくれつ)したときの閃光(せんこう)と黒いキノコ雲が立ち上る記憶しかない。けがもなかったが、原爆から放たれた放射線への不安は戦後の人生に常につきまとった。

 23歳で結婚する際、助産婦だった夫の母からはきつく反対された。当時、科学的な根拠もなく「被爆者は丈夫な子どもが産めない」と考える人が少なからずいた。千葉は9年間、妊娠しなかった。夫の妹が産んだ子どもを義母が抱き、「外孫でもかわいいのに……」と言った何げない言葉に深く傷ついた。

 だが、その後は3人の子どもに恵まれた。「8月6日」が遠い過去に思えるようになったころ、福島で2011年3月、原発事故が発生。大量の放射性物質が放出された。被災した女子高校生が「子どもを産んでいいのかな」と言ったという報道に触れ、千葉は胸が痛んだ。「昔の自分と同じだ」

 放射線への不安と恐怖に苦しんできたのに、原発は「核の平和利用」として受け入れていた。今春、被爆者の今の思いを尋ねる朝日新聞のアンケートにつづった。「被爆者として、原発の恐ろしさに気づけなかったことが恥ずかしい」

 7月初め、千葉は神戸にいた。核兵器と原発がテーマのシンポジウム。パネリストとして招かれた千葉は「広島、長崎、ビキニ、そして福島。地球上にどれだけ放射能がたまっているのでしょうか。それを考えると、むなしい」と語った。

 千葉の思いは原発事故の被災者にも届きつつある。

 シンポに参加した森松明希子(…

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