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長谷川毅さん(米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)

 ――日本を降伏させるために、米国は原爆を投下する必要があったのでしょうか。

 「必要ではなかったし、正当化されるものでもない。米国の伝統的な考え方の前提として、多くの米兵の犠牲を伴う日本本土侵攻をせずに日本を降伏させるには、原爆投下しか選択肢がなかったという判断がある。ところが、トルーマン大統領には他の選択肢が二つあった。一つはソ連を参戦させるために、ポツダム宣言にスターリンの署名を求めること。もう一つは、天皇制存続を明確にして日本側の降伏を促すことだ」

 「スティムソン陸軍長官によるポツダム宣言原案には天皇制存続の文言が盛り込まれていたが、トルーマンは意図的にこれを排除した。原爆という手段を獲得したからだ。スティムソン原案を採用していたら、原爆投下なしでも日本が降伏する可能性はあったが、トルーマンはその可能性を追求しなかった。1945年8月半ばまでにソ連が参戦することは分かっていたので、その前に原爆を使いたかったのだ」

 ――著書「暗闘」によると、8月6日の広島への原爆投下後も、最高戦争指導会議の日本の六首脳らは、まだソ連が中立を保ち米国との仲介役になってくれるものと期待していました。

 「全く甘い希望的観測だった。当時の日本の為政者らは透徹した目で戦略を考えることができなかったが、ソ連側は対日参戦をすでに決定していた。広島原爆の情報は8月7日に日本の首脳に伝わり、影響はしていたが、降伏の決定打とはならなかった。米国の伝統的解釈では、原爆によって日本が降伏したとされるが、日本側の政策決定過程をよく見ると、日本が頼みにしていた外交オプションが消えたソ連参戦の方が決定打だった」

 ――95年の「スミソニアン論争」をどう評価しますか。

 「二つの次元の議論がある。一つは米国の原爆投下の決定という政治的な議論。もう一つは原爆の被害。キノコ雲の上で起こったことと下で起こったこと。この二つを合わせて議論する必要がある。米国の原爆投下は正当化されるかという政治的な次元の問題を論ずる人々にとっては、広島・長崎のキノコ雲の下で起こったことに目が届かない。スミソニアンの展示は『下』で起こったことをも米国で初めて示そうとしたが、米国人の神経を逆なでするようなものだった。原爆投下は米国人の良心をとがめる出来事だったので、それについては触れられたくない。だからこそ必要悪として正当化される必要があった」

 「原爆投下は戦争犯罪だと私は考える。これを米国人が直視して反省しなければ、再び核兵器を使用する過ちを犯してしまうだろう。核兵器は使ってはならないという確信を米国人は持たなくてはならない。そのために広島・長崎に立ち戻って、原爆投下を正当化するのではなく反省する必要がある」

 ――米国では「その前に日本軍は何をしたのか」という議論になりがちです。

 「米国が『正義の戦争(ユス・アド・ベルム)』を遂行するためには、『戦争における正義(ユス・イン・ベロ)』に違反するいかなる手段も許されるのかという問題だ。ドイツ・ドレスデンや東京への空襲、広島・長崎への原爆投下を含む民間人に対する一連の戦略爆撃を許容できるのか。国際法で毒ガスの使用が禁じられているのは、戦争における正義に反するからだ。毒ガスが違法であるならば、原爆はそれ以上にひどい兵器だから違法であるべきだ」

 ――原爆を使ったのがドイツや日本ではなく米国だったということが、正当化につながっているのでしょうか。

 「そう思う。ただ、ドレスデン爆撃60年の時、連合国の代表者がドイツに集まってきた。当時のシュレーダー独首相は戦争の犠牲者を追悼する前に、ナチス・ドイツの犠牲になった人々を追悼するとの反省の言葉を述べた。しかし、日本の首相は広島・長崎の平和式典で日本が犯した戦争の反省なしに原爆の被害を語る。米国大統領が近い将来、広島・長崎に行って『我々の原爆投下は誤りであった』と述べる前提は、日本が犯した戦争に対する反省だろう」

 「日本がもっと早く戦争をやめていれば、米国の原爆投下もソ連の参戦もなかった。その責任を追及せずに、日本人は犠牲者であったと強調するのは間違っていると思う。同盟国とはいえ、米国人と日本人の間にある認識の違いの最大のものは原爆だろう。米国人の大部分は原爆投下は正当化されると考え、日本人の大部分は原爆の犠牲者だと考えている。その意識の違いは非常に大きい」

 ――原爆投下は戦争犯罪だったとして裁かれるべきだった、と。

 「本来は裁かれるべきだった。だが、8月6日の広島原爆投下後に米ソ英仏の連合国の指導者らが集まって将来の戦争犯罪裁判の基準を議論し、いわゆる戦略爆撃や原爆は除外した。戦後、東京裁判でインドの裁判官が問題提起したが、無視された」

 ――米国人も原爆の犠牲に向き合うためには、どうすればいいのでしょうか。

 「原爆に対する意見はともかく、米国人はキノコ雲の下で起こったことを直視し、それを知ることが重要だ。長らく米政府が認めなかったことだが、米国人戦争捕虜が広島で原爆の犠牲になっている。広島平和記念公園の外にあるビルの壁に有志が設けた記念碑がひっそりと掲げられている。昨年、カリフォルニア大学の学生らと訪れて献花した。米国人原爆犠牲者をともに追悼することで、原爆論争ですれ違う米国と日本が歩み寄るきっかけになるのではないか」

     ◇

 はせがわ・つよし 1941年東京生まれ。東京大学教養学科卒。米ワシントン大で博士号。米国市民権取得。北海道大学スラブ研究センターを経て現職。専門はロシア史。著書に「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」など。(核と人類取材センター・田井中雅人