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南方からの視線 戦後70年

 独立のために日本軍と協力し、抗日に転じたアウンサン将軍。ミャンマーでは、日本軍への評価は今も二つに割れる。

 ミャンマー(ビルマ)のヤンゴン中央部の小さな丘の上に洋館が立つ。建国の父アウンサン将軍が暮らした邸宅だ。60年にアウンサン博物館になった。

 「将軍は日本の支援で英国と戦った。その点では、日本に感謝したい」。中部の町から来たという元国軍兵士チョームウェさん(68)が記者にこう語った。

 日本軍は42年1月、中国国民党政府を連合軍が支援した援蔣ルートの遮断や資源獲得を狙い、タイから英領植民地のビルマに侵攻。同年5月に全土を制圧する。日本軍とともに戦ったのがビルマ独立義勇軍。独立をめざす活動家だったアウンサンら「30人の志士」と呼ばれる若者を日本軍が軍事訓練して結成させていた。

 日本の中学生にあたる8年生の歴史教科書はこう記述する。「外国の軍事支援を模索したアウンサンらが中国に渡った時期に日本軍の鈴木大佐が接触……」

 鈴木敬司陸軍大佐は特務機関「南機関」の長で、「30人の志士」の訓練を担った。日本軍がビルマを制圧すると日本に戻された。

 日本軍は43年8月、ビルマを「独立」させたが、偽物の意味を込め「金めっきの独立」と呼ばれることになる。日本軍に行動の自由やビルマ国軍・警察への指揮権を認めていたのだ。

 教科書は占領下の暮らしの困窮や反日を疑われた人々への憲兵隊の拷問にも触れる。「キンペイタイ(憲兵隊)が権力をふるい、多くの国民が抑圧された。ファシスト日本を打倒すべきだとの考えが広まった」

 アウンサンは45年3月、連合軍の反撃に敗走を始めた日本軍に反旗を翻した。

 戦後70年の今も、ミャンマーでは、日本軍に対する評価は二つに割れる。「鈴木大佐」は良い日本人とされる一方、「キンペイタイ」は圧政の象徴だ。

 「30人の志士」に起源を持つ国軍が独立後、政治の実権を握ってきたことが背景にある。日本占領下のビルマに詳しい上智大学の根本敬教授は「教科書は南機関とファシスト日本を明確に区別する。南機関につながる今の国軍が日本軍本体によってつくられた汚れた軍隊ではないと示す必要があるからだ」と指摘する。

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