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 大切な人のために私は伝える――。核廃絶を求めて闘う姿を、癒えぬ苦しみを、平和への願いを。長崎への原爆投下から70年。被爆者の声が細るなか、そばで見守ってきた人たちは、継承への誓いを新たにしている。

 「真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人……」

 9日、長崎市であった平和祈念式典。被爆者の谷口稜曄(すみてる)さん(86)=同市=は、「平和への誓い」の中で被爆時の状況を「地獄でした」と振り返った。「あの日、死体の山に入らなかった私は被爆者の運動の中で生きてくることができました」

 会場では東京都の映像ジャーナリスト、熊谷博子さん(64)が谷口さんを撮影していた。誓いを聞き、「譲れない一本の芯を貫き通し、命がけで訴えた」と感じた。

 出会いは約30年前。米国から得た被爆者の映像を元にドキュメンタリーを作った。映像の中にいた、焼けた赤い背中の治療を受ける青年が谷口さんだった。

 カメラの前で背中をさらしてもらい、苦悩を聞いた。「記録しないと、なかったことになってしまう」。4月、核不拡散条約(NPT)再検討会議にあわせて渡米した谷口さんにも同行した。身の回りの世話もした。体調を崩し、体重が30キロ台に落ちても、学校での証言などをこなす谷口さんに「不屈の精神力」を感じた。

 やけどの痕が覆う谷口さんの背中は、皮膚呼吸をしない。そこに、ホテルで薬を塗った。「人間の体ではない感じ。体の芯まで焼かれたんだ」と感じた。

 谷口さんを撮影したドキュメンタリーは、9月にも放映される予定だ。熊谷さんは「私たちには、体験を成り代わって伝えることはできないけど、思いや意思は伝えられる。見てしまった者、話を聞いた者としての責任がある」。それを一生、背負うつもりだ。

 熊谷さんは、伝え続けてきた谷口さんに思う。「よく生きてきてくれました。ありがとう」(岡田将平)

■母の被爆体験、紙…

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