[PR]

 米国による広島への原爆投下から70年となる直前の8月5日、ロシアのプーチン大統領の側近であるナルイシキン下院議長が、自ら主催して原爆問題に関する専門家の円卓会議をモスクワで開いた。ナルイシキン氏は「広島、長崎への原爆投下はまだ国際法廷で裁かれていない。しかし、人道に対する罪に時効はない」と指摘し、原爆投下は国際法廷で裁かれるべきだという考えを明らかにした。

 同氏はこれまで、日本の降伏を決定づけたのは原爆ではなく、旧ソ連の対日参戦だったという歴史認識を示し、原爆投下とナチスの戦争犯罪を並べて言及することもあった。昨今のウクライナ危機で関係が悪化している米国を、被爆70年の節目で牽制(けんせい)しておきたいとの狙いもあるだろう。

 まさにこのタイミングで、ロシア外務省は5日、原爆投下から約1カ月後の1945年9月に広島と長崎に入った在東京ソ連大使館の調査団による「原爆」報告書を公開した。ロシア歴史協会のサイトでも見ることができる(http://rushistory.org/putevoditel/archives/doklad-posla-sssr-v-yaponii-o-sostoyanii-khirosimy-i-nagasaki-posle-atomnykh-bombardirovok.html別ウインドウで開きます)。モスクワにある外務省の外交史料館に保管されてきた極秘資料だ。

 この報告書は、「原爆/広島・長崎への原爆使用の結果に関する資料」と題され、計37ページ。東京のソ連大使館がスターリンや核開発の最高責任者だったベリヤら5人の高級幹部にあてて作ったものだ。

 実は記者は2014年1月、この資料の実物を外交史料館で閲覧した。かねて閲覧申請を出していたところ、昨年に入って認められたのだった。しかし、コピーは不可。写真撮影も表紙と一部のみ認められた。計37ページ分のロシア語をひたすら書き写すしかなかった。

 「核の時代」の幕開けとなった広島と長崎への原爆投下。戦後、核開発で米国と対抗することになるソ連は、米国に先を越された原爆を必死になって追い求める。その証しが、複数の現地報告書の存在だ。

 残念ながら、被爆地にいち早く入った元ソ連軍スパイのミハイル・イワノフ氏の報告書は、専門家もまだ確認できていない。

 現在確認されているのは、今回公開された45年9月調査と、翌46年9月調査の二つの報告書だ。このうち、今回公開された報告書の概要を改めて紹介したい。「核の時代」の幕開けに直面したソ連が当時、原爆の被害をどう直視して記録したのか。

   …

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら