【動画】治安維持法で2度逮捕された経験を持つ106歳の西川治郎さん=加藤諒撮影
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 70年前に終わった戦争は様々な教訓を残した。その一つが自由に考え、語り、表現することの大切さだった。戦時下で抑圧された人は、「戦争をする国」への道を開くともいわれる安全保障関連法案をどうとらえているのか。大阪で存命の106歳、西川治郎さんの思いを聞いた。

棒やロウソクで拷問受けた

 ――西川さんは1909(明治42)年、今の三重県南伊勢町に生まれた。

 8人きょうだいの6番目に生まれました。三男で、13歳のときに丁稚(でっち)奉公に出た大阪の商店主がクリスチャン。15歳で洗礼を受け、「将来は牧師になりたい」と思っていました。

 ――洗礼の翌年の25(大正14)年、治安維持法が施行。軍部が国政に影響を及ぼすようになり、31(昭和6)年には満州事変が勃発する。

 中国への侵略戦争を容認してしまい、世の中がおかしくなっていると思いました。だが、特高(特別高等警察)に逮捕・拷問されるのが怖くて、公の場で「戦争反対」なんて言える雰囲気じゃありませんでした。そんなとき、「日本戦闘的無神論者同盟」という共産主義の影響を受けた団体と出会い、東京などで軍国主義を批判するビラ配りをしていました。

 ――34(昭和9)年1月20日、特高に逮捕された。

 特高が夜遅く、東京・浅草の下宿先に十手のようなものを持って来ました。同じ下宿の人に案内されて。逮捕の理由は聞かされず、令状も見せられません。妻と一緒に警察署へ連行されて、「天皇陛下に反対するやつだから、誤って殺しても、おれ(取調官)は罪にならない」と言われ、拷問も受けました。

 腰掛けているイスに手錠で固定され、動けない。そのまま太い木の棒で、太ももを繰り返し殴られる。ロウソクの炎で鼻をあぶられたこともありました。

 ――西川さんの鼻には、今も黒ずんだ痕が残る。

 取り調べでは、ちゃんとした調書を取られることはなく、なぜ、罪に問われるのかも分からないまま起訴されました。勾留期間は約11カ月。治安維持法違反の罪で懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受けました。

理不尽、あきらめた時代

 ――判決後、大阪へ。兄が営む製粉会社で働き始めた後の40(昭和15)年、再び逮捕される。太平洋戦争が始まる前年だった。

 同じ頃、共産主義グループの中心メンバーが刑期を終えていました。そのメンバーらと私が組織を作ると思ったのか、東京の特高が大阪までついてきたようでした。組織は作っていませんでしたが、友人にもらった勉強会のビラを持っていたとして逮捕されました。

 大阪の特高には拷問されませんでしたが、留置場は不潔でした。便所はなく、房に開いた穴で用を足しました。判決は懲役2年の実刑。42(昭和17)年に刑務所を出た時、社会はどんな理不尽なことでも「戦争だからしゃあない」という、あきらめるしかない時代になっていました。

 ――姉の長男(当時24)が出征。30代半ばの西川さんにも召集令状が届く。

 出征することは名誉なことで、涙を見せてはいけないという空気。長男を見送った姉は1人で泣いていました。私は三重県内の連隊へ。長い勾留生活で体力が落ち、心臓も弱っていました。「医者から走るなと言われている」と上官に言うと、家に帰されました。

 45(昭和20)年の8月14日、大阪の淀屋橋で「広島と長崎に新型爆弾が投下され、もう勝ち目はない。天皇陛下に戦争を終わらせるように訴えよう」というビラを拾いました。翌日、電車内での将校の話から戦争が終わったと知りました。もう空襲はないと、ほっとした一方、「これから日本はどうなるのか」という不安が大きくなりました。

かつての日本に似てきた

 ――終戦から2カ月後の45年10月に治安維持法が廃止され、国民主権、基本的人権、戦争放棄をうたい、表現の自由などを保障する憲法が47年5月に施行された。

 平和な世界になる、と安心しました。ところが、朝鮮戦争(50年6月~53年7月)が始まる。それを機に警察予備隊が作られ、自衛隊になってしまった。

 ――自衛隊が他国とともに海外で戦う集団的自衛権の行使について、歴代の内閣は「憲法9条に反する」として認めてこなかった。安倍政権はこの解釈を変えて、新たな安全保障法制の関連法案成立をめざす。

 安倍晋三首相は真剣に平和を願っているのでしょうか。「広島原爆の日」の6日、式典で「非核三原則」に触れませんでした。ありえないと思います。

 治安維持法の被害者に謝罪や賠償を求める運動に携わってきましたが、特定秘密保護法がつくられ、今度は安保法案。どこか、戦争をしたかつての日本に似てきたような気がします。この70年間で、こんなに心配な気分で終戦の日を迎えるのは初めてです。

 でも、希望はあります。今は「戦争はダメだ」と声を上げることができる。学生や若い母親たちもデモ行進をしています。106年間生きてきた証しとして、二度と戦争の時代に戻らないよう、これからも機会があれば体験を語っていきたい。(聞き手・増谷文生)

     ◇

 〈治安維持法〉 共産主義者のほか、日本の植民地支配や戦争に反対する文化人らの活動を取り締まった法律。1925(大正14)年に施行され、厳罰化する法改正が繰り返され、逮捕者は数十万人に上ったと言われている。終戦後の45年10月に廃止。

 〈満州事変〉 1931(昭和6)年9月に満州(現・中国東北部)の奉天(現・瀋陽)郊外で、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破。「中国軍の犯行」とでっち上げ、戦闘は満州全土に拡大していった。

 〈特定秘密保護法〉 防衛相や外相ら行政機関の長が安全保障に関わる防衛や外交など4分野の情報を「特定秘密」に指定。これを漏らした公務員や民間業者に最高懲役10年の罰則を科す法律。拡大解釈され、「知る権利」を妨げるとの指摘もある中、昨年12月に施行された。