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 じっとしているだけで体中から汗が噴き出る。生い茂る樹木から響き渡るセミの鳴き声が、行き交うひとの声もかき消すほどだ。70年前の夏も、きっと、こんなに暑かったにちがいない。

 亀をかたどった台座に立つ巨大な碑柱(高さ約5メートル)の前に、いくつもの花束が供えられた。「また一年が過ぎました。もう70年が過ぎました。あの日亡くなられた李●(「金(かねへん)」に「禺」)〈イ・ウ〉公殿下をはじめ、2万人余りの韓国人原爆犠牲者の皆様のご冥福を祈ってきました」。広島原爆の日を前にした8月5日、広島市の平和記念公園の一角にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の前で、徐張恩(ソ・ジャンウン)・駐広島韓国総領事が原爆犠牲者への追悼の辞を述べた。今年で46回目となる韓国人原爆犠牲者慰霊祭だ。

 李氏は、朝鮮王朝の一族のひとりだった。朝鮮を植民地支配し、朝鮮人の「日本人化」を進めた日本は、その象徴のように、朝鮮の元王族を日本軍人にした。

 「陸軍中佐 李●(「金(かねへん)」に「禺」)公殿下 広島空爆で御戦死」。1945年8月9日付の朝日新聞(大阪本社版)は一面で、李氏の広島での被爆死を報じている。朝鮮王朝の一族だけでなく、広島・長崎では大勢の朝鮮半島出身者が犠牲になった。広島と長崎で計7万人が被爆し、うち4万人が死亡した、とする説もある。

     ◇

 韓国南部、慶尚南道の陜川(ハプチョン)郡。山あいにぽつぽつと集落がちらばる農村は「韓国のヒロシマ」と呼ばれる。日本の植民地支配下、収奪と貧困に苦しんだ農村からは大勢の人が仕事を求めたり、軍需工場に動員されたりして広島に渡った。現在、韓国原爆被害者協会に登録する約2600人の被爆者のうち陜川郡に暮らすのは約630人。ソウルや釜山などの大都市に移り住んだ人も含めると、韓国の被爆者の大半が陜川出身者だと言われている。

 韓国原爆被害者協会陜川支部長の沈鎮泰(シム・ジンテ)さん(72)は、広島で生まれ、2歳のとき原爆にあった。日本語は覚えていないが、「江波(えば)町251番地」といまも広島の住所は覚えている。

 原爆を生きのびた沈さんは、日本の敗戦による植民地解放後、両親に連れられて父の郷里の陜川に戻った。だが、父は朝鮮戦争(1950~53)で北朝鮮軍に銃殺された。幼い時に父を失い、「母と食べていくのに必死で、原爆が何かもまったく知らなかった」と振り返る。沈さんが、地元の被爆者団体に初めて足を運んだのは50歳を過ぎてからだ。2001年に陜川支部長となり、山あいにひっそりと暮らしながら後遺症と貧困に苦しむ原爆被害者とその家族らに接した。「原爆は今も続いている」ことを悟ったという。

 韓国赤十字社が運営する陜川原爆被害者福祉会館。韓国で唯一の被爆者専門の福祉施設には約100人の被爆者が暮らす。安月嬋(アン・ウォルソン)さん(85)は広島で被爆し、爆風で砕けた細かいガラス片が顔や腕じゅうに突き刺さった。今も顔や腕に傷が残り、すれ違った人がハッとすることがあるという。ある日、離れた町で山登りをした時のこと、同年配の男性が安さんの顔の傷を見て「いったい、どうしたんですか」と驚いた。「広島で原爆に遭ったんです」と話すと、「原爆って何ですか」と聞き返された。原爆のことを知らなかった。

 「原爆のことを知っていても、子や孫にも影響が出るとか、よくない印象をもたれています」。京都で生まれ、広島で被爆した金日祚(キム・イルチョ)さん(87)がそう付け加えた。17歳のとき、原爆に遭った。爆風で押しつぶされた木造の長屋の下敷きになって気を失ったが、母親に助け出された。ふたりとも、血だらけになった。

 原爆に対する世間の無知と無理解の中、韓国の被爆者は差別と偏見に苦しんできた。原爆を生きのびて帰郷しても、十分な治療が受けられず、後遺症で亡くなる人も少なくなかった。特に、日本で生まれ育ち、幼少で帰国した被爆者は韓国語がうまく話せず、「半日本人」といじめられ、疎外された。「原爆投下で日本が降伏し、わが民族が解放された」。そんな原爆観が根強い社会で、原爆の被害を口にすることも長年、はばかられた。

 こうした被爆者らの声に接し、沈支部長は「陜川にも広島、長崎のような原爆の犠牲者を追悼し、記憶し、核がどれだけ恐ろしいかを知る場が必要だ」と考えた。韓国にはまだ被爆の惨状を伝える公的施設はない。沈さんの提案を受けて、陜川郡庁が予備調査をし、追悼碑や原爆ドームの模型、展示館を含む平和公園構想をまとめた。しかし、概算で400億ウォン(約44億円)の事業費を郡単独で負担するのは財政的に困難という。

 沈さんは今年5月、米国ニューヨークの国連本部で開かれた核不拡散条約(NPT)の再検討会議で、韓国の被爆者代表として「国連は非人道的な核兵器を不法なものとし、核廃絶の先頭に立つべきだ」と演説。現地での市民団体の集会では、平和公園構想への協力も呼びかけた。「私は、原爆を投下した米国の責任をただし、核兵器の使用をなぜ禁止しなければならないのかを、世界の多くの人々に知らせる、真の平和公園を陜川につくりたいんです」

 韓国の国会には、有志の議員が被爆者の支援や追悼事業の推進のための特別法案を出している。が、審議は進んでおらず、平和公園実現のめどは立っていない。被爆者に対する世論の関心も高いとはいえないままだ。

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