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 其所(そこ)に気の付かなかった宗助は、町の角(かど)まで来て、切手と「敷島(しきしま)」を同じ店で買って、郵便だけはすぐ出したが、その足でまた同じ道を戻るのが何だか不足だったので、啣(くわ)え烟草(タバコ)の烟(けむ)を秋の日に揺(ゆら)つかせながら、ぶらぶら歩いているうちに、どこか遠くへ行って、東京という所はこんな所だという印象をはっきり頭の中へ刻み付けて、そうしてそれを今日(きょう)の日曜の土産(みやげ)に家(うち)へ帰って寐(ね)ようという気になった。彼は年来東京の空気を吸って生きている男であるのみならず、毎日役所の行通(ゆきかよい)には電車を利用して、賑(にぎ)やかな町を二度ずつはきっと往(い)ったり来たりする習慣になっているのではあるが、身体(からだ)と頭に楽(らく)がないので、何時(いつ)でも上(うわ)の空(そら)で素通りをする事になっているから、自分がその賑やかな町の中に活(いき)ているという自覚は近来とんと起った事がない。尤(もっと)も平生(へいぜい)は忙がしさに追われて、別段気にも掛からないが、七日(なのか)に一返の休日が来て、心がゆったりと落ち付ける機会に出逢うと、不断の生活が急にそわそわした上調子(うわちょうし)に見えて来る。必竟(ひっきょう)自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京というものを見た事がないんだという結論に到着すると、彼は其所に何時も妙な物淋(ものさび)しさを感ずるのである。

 そういう時には彼は急に思い出したように町へ出る。その上懐(ふところ)に多少余裕でもあると、これで一つ豪遊でもして見ようかと考える事もある。けれども彼の淋しみは、彼を思い切った極端に駆り去るほどに、強烈の程度なものでないから、彼が其所まで猛進する前に、それも馬鹿々々(ばかばか)しくなってやめてしまう。のみならず、こんな人の常態として、紙入(かみいれ)の底が大抵の場合には、軽挙を戒める程度内に膨(ふく)らんでいるので、臆劫(おっくう)な工夫を凝(こら)すよりも、懐手(ふところで)をして、ぶらりと家へ帰る方が、つい楽になる。だから宗助の淋しみは単なる散歩か観工場(かんこうば)縦覧位なところで、次の日曜まではどうかこうか慰藉(いしゃ)されるのである。

 この日も宗助はともかくもと思…

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