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 4年前に紀伊半島を襲った水害は、多くの人と家屋をのみ込んだ。「代われるなら代わってやりたい」。残された家族たちは、自責の念を抱きながらも追悼式に臨み、防災への思いを強くした。

兄は今も不明のまま

 深層崩壊が起き、集落が土石流にのまれた和歌山県田辺市の熊野(いや)地区。崩落現場では、いまも大規模な復旧工事が続いている。

 4日午前6時半、愛須東美子(あいすとみこ)さん(52)は、朝もやがたなびく実家跡を訪れた。兄の好きだったビールや酒、母や祖母のために豆大福などを供え、線香とたばこ2本に火をつけた。「あの日、いっしょにいてあげられなかった。同じ時間にここにいてあげたい」

 市街地近くで暮らしていた愛須さんは4年前の早朝に発生した土石流で、熊野地区の実家にいた祖母の岡本浜恵さん(当時90)、母の榎本艶子(えのもとつやこ)さん(当時71)を失った。兄の三喜夫さん(当時50)はいまも見つからず、翌年2月に法律上の死亡にあたる「失踪宣告」を受けた。

 2011年9月4日の未明。強い雨で小学校に避難した愛須さんが、実家に電話したのは午前6時すぎだった。「大丈夫やよ」。母の艶子さんは答えた。雨も熊野(いや)川の増水もさほどではないという。ただ、とても眠そうだった。雨の多い熊野地区では、瓦の間から水が漏れないよう、トタン屋根の家が多い。「一晩中雨がトタンをたたく。寝てないんだろうな」

 まもなく、艶子さんのいとこで、実家近くに住んでいた大原秀子さん(73)は避難した近所の寺で、「ドーン」というすさまじい衝撃音を聞いた。「山から煙がのぼって、木が次々倒れた」。山が崩れたのだ。

 愛須さんは翌日まで、自宅近くに近づけなかった。黄金色の稲穂が広がっているはずの集落はどこまでも土色で、流木と巨石が散乱していた。「もうダメやな」。母屋と離れ、納屋のすべてがなくなっていた。

 数日後、下流でササの枝に引っかかった祖母の浜恵さんの遺体が見つかった。さらに1週間ほど後、消防や警察が、自宅付近で「木の根のようなもの」を見つけた。DNA型鑑定の結果、艶子さんの背骨の一部とわかった。長さはわずか10センチほど。「ひつぎの遺体のまわりを埋める菊が少なくてね」と愛須さんは言葉を詰まらせる。「母には白装束も着せてあげられなかった。体があることが、ものすごくうらやましかった」。ほかの人の葬儀に出るたびにそう思った。

 実家跡は、工事が終われば河原の護岸の一部になる。「経験しなければ、この悲しさはわからない。今は防災の情報も多く、自分の住む場所が災害に遭わないか思いを巡らせて、少しでも被害を避けてほしい」(滝沢文那、藤井満)

■亡き妻へ「代わってやりたかっ…

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