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 1987年の第69回選手権大会では、尽誠学園(香川)の伊良部秀輝の剛球が甲子園を沸かせた。のちにプロ野球のロッテ、米大リーグのヤンキースなどで活躍し、球界屈指の投手に成長する右腕は、大会注目のスラッガーをねじ伏せ、尽誠学園に甲子園初勝利をもたらした。豪快な印象とは裏腹に、繊細な一面もあった伊良部は、持ち前の探究心と努力の積み重ねで剛球を作り上げていた。

 尽誠学園の当時の監督・大河賢二郎(69)が伊良部と出会ったのは、伊良部が中学3年の時だ。伊良部を見に兵庫に足を運んだ。大河は「今まで見た中でも群を抜いて球が速かった」と振り返る。

 尽誠学園に進学した伊良部の素質は光っていた。大河は「長身だがバランスが良く、強く柔らかい、理想の体をしていた」と話す。一方で指導に当たった投手コーチの太田高義(68)は入部当初の伊良部を「コントロールが悪い」と見ていた。やや下がった位置で腕を振っていた伊良部に、太田は遠投を命じた。「腕を縦に振ってボールの回転をきれいにしないと、遠投ではまっすぐ投げられない。1年の時はほとんど遠投だけだった」と話す。

 伊良部は探究心が旺盛で、分か…

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