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第一章:ライバル現る

 有楽町駅から山手線のガードに沿って歩いていた佃航平の視界に、目的のホテルが見えてきた。

 七月の終わり。梅雨が明けたと思ったらいきなり三十度を超える真夏日だ。強い日差しはいま西に傾いていたが、ガラス張りのビルに反射して佃を照りつけ、駅から五分も歩けば汗が噴き出してくる。

 隣を歩いている山崎光彦も、さっきからひっきりなしに額にハンカチを当てている。佃製作所の技術開発部を率いる山崎は、三度の飯よりものづくりが好きな技術屋だ。

 業界団体が開く恒例のパーティーに向かうところであった。

 十分ほども歩いただろうか、すでに開会の挨拶が終わった会場は、グラスを片手に持った参加者でごった返していた。

 入り口でドリンクのグラスを受け取り、世話になっている帝国重工の財前道生を捜すのだが、なにしろ千人近い人が会している場である。見つけるのは容易ではない。

 同業者に呼び止められ、旧知の取引先と話し込み、

「佃さん――」

 ぽんと肩を叩かれたとき、すでに一時間ほどが過ぎていた。

 振り向くと、白ワインのグラスを持った財前がそこに立っていた。日本に冠たる財閥系大企業である帝国重工の宇宙航空部開発グループ、その部長職にある財前は、日頃、佃がビジネスの相手にしている男である。

「先日の打ち上げ成功、おめでとうございます」

 帝国重工の大型ロケットが種子島宇宙センターから打ち上げられたのは、二週間ほど前のことだ。同社社長の藤間秀樹が進める宇宙ビジネスも着々と軌道に乗ってきた印象である。

「こちらこそ。いつもお力添えをいただきまして。ただ、その件で折り入ってお話ししようと思っていたんですが――」

 財前がいいかけたとき、背後からひとりの男が現れた。

 財前と同じ宇宙航空部の調達グループを統括する、石坂宗典である。資材調達を担当している石坂は、財前と並ぶ宇宙航空部のリーダー的存在で、社内でライバル関係にあるらしい。

「おや、佃さん。それに財前も。これは奇遇だな」

 そんなことをいって近づいてきた石坂は、背後にまたひとり、男を連れていた。

 年齢は佃と同じく、五十を少し過ぎたぐらいだろうか。上等なスーツを着こなし、銀縁のメガネをかけた、いかにもインテリといった風貌の男である。

「ああ、そうだ、紹介しよう」

 そういうと石坂は、男を佃に引き合わせる。「こちら、株式会社サヤマ製作所の椎名社長だ。ぜひ、佃製作所さんを紹介していただけないかとおっしゃっていてね。ちょうどよかったよ」

 佃の前に進み出て、さっと名刺を差し出す椎名直之の仕草は、洗練されていて、優雅であった。

「サヤマ製作所の椎名です。お噂はかねがね。宇宙科学開発機構にいらっしゃったそうですね。今後ともお見知りおきください」

「佃製作所の佃です」

 佃は丁重に挨拶を返した。

「椎名社長は、NASAのご出身なんですよ。すばらしい技術をお持ちでねえ」

 石坂はまるで自分のことのように誇らしげにいい、暗に椎名との良好な関係をほのめかした。その横で、なぜか財前が冴えない表情で成り行きをうかがっている。

「以前、雑誌でお見かけしました」

 山崎が興味を示した。「NASAではどんなことをされていたんです」

「ロケット工学です。数学屋みたいなもんですよ」

 軽い口調で椎名はいってのけたが、いわゆるロケットサイエンティストが果たしてどんなものかを知っている山崎は、ほう、と思わず声を上げた。「それはすばらしい」

「ただ、あんまり激務なんで、もっと楽してお金が儲かることはないかと思いましてね。いままで会社を経営してきた父も歳を取ったものですから、ひとつ会社でもやってみるかと、三年前にそれを引き継いだんです。これがなかなかおもしろい」

「そうなるのを見越してMBAまで取得したというんだから、さすがだよ」

 石坂は賛辞を惜しまない。「それで三年間で会社を急成長させたんだからね」

「いえ、大したことはありませんよ」

 椎名は笑っていった。「特別なことはしていません。日本式だったオヤジの経営方針をやめて、自分に馴染みのある合理主義に変えてみただけです。日本の会社にはまだまだ無駄が多いですから」

 果たして謙遜なのか、自慢なのか。

 サヤマ製作所はかつて埼玉県狭山市に本社を置いていた精密機械メーカーで、佃の同業者だという。

「もう、狭山市のほうにはお会社はないんですか」

 名刺の住所が新宿区になっているのを見て、佃はきいた。

「かつて本社があったところは製造拠点にしておりまして。本社機能は都心に移しました。そのほうが何かと便利なものですから」

「ウチと同業ということですが、その合理化で、それまでの製品ラインナップも変えられたんですか」

 佃がきくと、「いえいえ」、と椎名は首を横にふった。「従来扱ってきたものはそのまま継続しています。それプラス、私の専門分野を生かした製品を製造しようと。それで、ライバルの佃製作所さんにご挨拶したいなと」

「ライバル?」

 佃は思わず聞き返し、どういうことなのか、先ほどから硬い表情をしている財前を振り向いた。

「いや実は、佃さんに話そうと思ってたんだが、次回からのバルブシステムをコンペで決定することになったんだ」

 財前の発言に、佃は眉を顰めた。

「バルブの性能も違うのに価格を争うと?」

「値段だけじゃない、性能も含めてですよ」

 そういったのは財前ではなく、椎名だ。「帝国重工さんには、ぜひとも私のNASAでの経験を生かしてもらおうと思いましてね。弊社ではいま、NASAのバルブシステムのさらに上を行く製品を開発しております。佃さんもかつてロケットエンジンに関わっていらっしゃったとのことですが、あの業界は日進月歩です。NASAの最先端テクノロジーで挑戦させてもらいます」

「それはもう、決定事項なんでしょうか」

 警戒して、佃は財前に問うた。

「本部長の一声でね」

 財前は渋い顔だ。財前らの上司、水原重治は優秀な男だが、かなりのワンマンだ。「詳細はこちらからメールしておくから、まずは目を通してもらえますか。このコンペで決定したバルブシステムが次期中期計画に採用されることになる――」

「向こう三年間のバルブをそれで決めると」

 寝耳に水の話である。

 来年から始まる中期計画に搭載するバルブについては、設計を新しくしてすでに取り組んでいるところだ。仮にコンペで敗れるようなことになれば、投資の回収すら難しくなる。

 まぎれもない、佃製作所の一大事であった。

「マズイですよ、社長」

 財前たちと別れ、足早にパーティー会場を出ると、山崎が顔色を変えた。「あの椎名って男、ただもんじゃない。なにしろ――」

「NASAだからな」

 佃がいうと、青ざめた顔で山崎は頷く。

「どうします、社長」

「コンペになった以上、受けて立つしかないだろう」

「まあ、それはそうですが」

 山崎は悲壮な表情だ。「しかし、水原本部長の決断でコンペになったということは、少なくともサヤマ製作所の評価はウチと同等レベルだということです」

 椎名が日本人科学者として、宇宙工学の最先端技術に触れていたことは間違いない。「相手がNASAだろうが、ウチだって一所懸命にやってるんだ。まずは、バルブシステムの改良をやり遂げようや。コンペで勝つか負けるかなんて、いま考えたところで仕方の無いことだからな」

「まあ、それはそうですが……」

 山崎はこたえたが、有楽町のネオン街に向けられた視線は虚ろに揺れ動いていた。

     ◆

「コンペ?」

 昨夜のパーティーでのことを聞いた経理部長の殿村直弘は、トノサマバッタさながらの細長い顔の中で、大きな目をぱちくりとさせた。

「今朝一番で送られてきた通達が、これだ」

 そういって佃は、帝国重工の財前からのメールに添付されてきた概要書をテーブルに置く。

 慌てて一読した殿村の顔が急激に曇っていき、誰にともなく、「マズイですね」、という言葉が吐き出された。

「ロケットエンジン用のバルブシステムには受注を当て込んで巨額の資金を投入してますからね。いまハシゴを外されるようなことがあれば、大赤字になりかねません」

 それは、言われなくても承知だ。

「サヤマ製作所って会社、言われてみればいろんなところで名前、聞きますね、最近」

 そういったのは営業第一部長の津野薫だった。「NASAのテクノロジーってのが“売り”なんですよね」

「実際のところ、評判はどうなんだ」

「さすがに、技術力は高いみたいですね」

 津野は、少し悔しそうな顔になって続ける。「社長、覚えていらっしゃいませんか。以前、日本クラインでのコンペで負けたことがあったじゃないですか。噂ですが、あれを受注したの、サヤマ製作所だったそうです」

「そうだったのか」

 たしか、大手メーカーの日本クラインが新開発するという人工心臓のパーツ――特殊加工のバルブだったはずだ。特殊な素材に、動作保証日数を加味すると非常に難しい部品で、コンペで負けたことより、他にこんなものを製造できる会社があるのかと、むしろそっちに驚いたぐらいだ。

「強敵、現るってところですね」

 そういって殿村は、契約している信用調査会社のオンラインシステムから、株式会社サヤマ製作所の情報をアウトプットして戻ってきた。

「創業はウチとほぼ同じですね。売り上げは二十億円ほどの規模だったようですが、三年前に創業者が退き、現社長に交代してから急増しているようです」

 殿村が言うとおり、現社長になってからの売り上げは二倍の四十億円ほどになっている。

「どうやると、こんなふうに売り上げを増やせるのかな」

 不思議そうにいったのは、営業第二部長の唐木田篤だ。この急成長がどうにも解せないという表情だ。

「大手メーカーとの契約を立て続けに取り付けたってききましたけどね」

 津野がいった。「椎名社長の人脈で、トップと直接交渉してるって話でした」

「もともとNASAの日本人科学者として有名ですからね、椎名さんは」

 そういったのは唐木田だ。「帝国重工の上層部ともつながっているのかも知れません。こんなことがあるかどうかわかりませんが、コンペなんか形だけのものかも知れないな」

「まさか」

 津野が顔を上げた。「それはなにかい。ウチへの手前、形だけコンペにして、実際にはサヤマ製作所からの納品が前提になっているってことかよ」

 そんなことがあるだろうかと、佃も腕組みをして思案する。

 財前は、二枚舌を使うような男ではない。サヤマ製作所で決まったのなら決まったと、最初からいうのではないか――。しかし、確証はない。

「ここは踏ん張りどころだな」

 津野がいった。「何がなんでも、帝国重工との契約、死守しないと」

 危機感を持ったまま打ち合わせが散会し、津野と唐木田、そして山崎の三人が出て行くと、後にはトノと佃のふたりだけが残った。

「まったく、いつになったら業績安泰っていえるんだろうな、トノ」

 佃がいうと、殿村は心底、不安そうに眉をハの字にして見せた。

「それをお伺いしたいのは私です、社長。何がなんでも、ここを乗り切らないと――」

     ◆

 真野賢作が訪ねてきたのは、そろそろ秋の気配が近づいてきた九月後半のことであった。

 午前中まで、音もなく細かな雨が降っていたが、それが止んだと思ったら気温が下がり、ぐっと過ごしやすくなった。

 かつて佃製作所に勤務していたエンジニアだった真野の現職は、福井にある北陸医科大学の先端医療研究所の研究員だ。退社したのは随分前のことで、会うのはかれこれ四年ぶりだろうか。

「ご無沙汰しております。その節は大変、お世話になりました」

 立ち上がった真野は、腰を二つに折って深々と頭を下げた。コットンパンツにジャケットという格好だ。

 その真野はふたりの男と一緒だった。

「こちらが、北陸医科大学の一村隼人先生です」

     ◇

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