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オール広島:下

 瀬戸内海に浮かぶ広島県尾道市の因島。島南部の土生(はぶ)町に、かつて「荒神(こうじん)商店街」と呼ばれた細い路地がある。スナックや居酒屋がいくつかあるものの、シャッターを閉めた空き店舗が両脇に並ぶ。人通りはほとんどない。

 いまも営業する酒屋の店員(58)によると、商店街は7年ほど前に解散したという。八百屋、魚屋、靴屋……。客足が減って店がクシの歯のように抜け、存続をあきらめた。荒神や近くの商店街はいま「土生商店街」に統合された。書店主(69)は言う。「みんな日立に乗っかって生きていた」

 因島は「造船の島」だ。日立造船(大阪市)の前身が島に工場を開業した1911年、「日立城下町」としての歩みが始まった。日本の造船業が世界をリードした70年代、島では「日立、内海 米の飯」と言われた。「日立や内海造船に就職すれば一生安泰」という意味だ。街はにぎわい、荒神商店街は「平日でも夜は客同士の肩と肩がぶつかった」と住民は振り返る。

 だが日立造船は85年、島にあった新造船部門の全面撤退を表明。約3500人いた従業員を、1年あまりで約200人に減らした。

 職を失った本社や下請けの従業員、その家族らが、仕事を求めて次々と島を去った。4万人以上いた人口は約2万5千人に減り、映画館などの娯楽施設はすべて廃業した。

    ■   

 「オイルショック、円高不況で造船が落ち込んだときの県の雇用のダメージはリーマン・ショック以上だった」。広島県幹部は当時の状況をそう表現する。

 広島は戦前から戦中にかけて、戦艦大和をつくった呉の海軍工場などが集まる軍都だった。戦後も軍需産業から派生した造船、自動車などが県の基幹産業を占めた。

 中国地方総合研究センター(広島市)の本郷満主席研究員は「戦中は世界でも最先端の製造技術が広島に集まっていた。マツダの協力企業にも創業者が海軍の技術者だったところが多い」と説明する。

 73年のオイルショック以降、造船業界は世界的な不況に見舞われた。造船が落ち込む一方で、自動車産業は成長をとげる。部品メーカーなど関連企業への波及も大きい。県の製造品出荷額に占める割合は、自動車関係が75年の15%から2014年は24%に拡大したが、造船関係は11%から4%になった。

 成長を牽引(けんいん)し、裾野を広げたのはマツダだった。

 マツダは78年、地元の部品メ…

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